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“アジア地域に特有の
「パラキュレートリアル」な実践について研究し、
それがいかに作動するかを見出したい”
──ジョン・デオダート・マビネス・パイレズ

語り手=ジョン・デオダート・マビネス・パイレズ[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修士課程在籍]

西洋およびアジアの風景画の政治と美学についてレクチャーを行うパイレズ。東京藝術大学の国際交流プログラム「ISIP (International Specialists Invitation Program)」の一環として、本研究科の毛利嘉孝研究室企画により、2017年1月、上野キャンパス大学会館にて開催されたシンポジウム+展覧会「ランドスケープ」より。 Photo: Gallery Soap

──国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻を志したきっかけは?

私は外国人労働者として(残念ながらアーティストという特権的な立場ではなく)2002年に初めて来日したのですが、それからすぐに、日本でコンテンポラリーな実践を繰り広げるローカルな活動家やアーティストたちに魅了されました。彼らの試みは、政治的な実践と文化の形成との境界線を不確かなものにしていたのです。(労働を終えたあとに)イベントに参加する機会を何度か重ねるうち、彼らの多くと交友を深め、刺激を受けました。そしてソーシャル・プラクティスへの興味がさらに高まり、大学院でこの分野の研究をしたいと考えるようになったのです。そのとき友人が教えてくれたのが、東京藝術大学大学院の国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻でした。

──入学と領域(リサーチ)を決めた動機は?

私自身が身を置いていた外国人労働者という周縁化された立場、そしてローカルな不安定労働者(プレカリアート)たちによる統御不能なネットワークの政治美学に触発されて、現代においてさまざまなマイノリティたちがダイレクトに手を取り合うことのポテンシャルについて研究したい、そんな意欲を持つようになりました。リサーチ領域に在籍することで、意欲の継続やポテンシャルの探求に後押しが得られていると思います。

──アート/音楽に関心を持ったきっかけは?

小さい頃からドローイングが好きでした。物心ついたときには自宅の壁に落書きをしていました。あとになって紙に描くことを学びましたが。私は下流中産階級の出身です。両親はフィリピンの地方の政府機関でそれぞれ専門的な仕事をしていましたが、それには身分保障がなかったのです(その後、ふたりは首都のマニラに移住し、そこから海外に出て、もっとお金になる仕事を得ることになります)。両親は、私が絵ばかり描いていることについて当初は寛容だったものの、やがて私が本気でアートに関心を持つようになると、好ましく思わなくなりましたね。

──大学時代はどんな勉強をしてきましたか?

両親の意向で、まず建築を学びました。私にドローイングの素質があったこと、そして建築を学べば定職に就ける確率が高いことが理由です。フィリピンの州立大学、とりわけレイテのような地方都市における建築の教育は、良いものではありません。建築の基礎を固めるために重要なアートやデザインについては、まったく教えられませんでした。でも、学校の図書館の蔵書が素晴らしかったのです。誰も読んでいませんでしたが、西洋やフィリピンの美術史に関する本が揃っていました。私は授業に行く代わりに、図書館で本を読んだり調べものをしたりしながら大学時代を過ごしました。そして、絵画を学びたいと心に決めたのです。
両親は私の決心を快く思いませんでしたが、気にせず絵画の道に進みました。ケソンのディリマン地区にあるフィリピン大学のカレッジ・オブ・ファイン・アートで学び、スタジオ・アーツ専攻で学位を取りました。学位論文/卒業制作では特別賞を受けたのですが、そこで私が試みたのは、スタジオにおける制作という枠組みをソーシャル・プラクティスへと押し広げる、つまり閉鎖的なスタジオを社会に開かれたラボラトリーへと転回させることでした。

パイレズの学部卒業制作であるインスタレーション作品《Dystopic Future Memory》(2014)の一部。同作は、フィリピン大学カレッジ・オブ・ファイン・アートのスタジオ・アート・ギャラリー展示室に設置されたもので、仮設的なソーシャル・ラボラトリー、海賊ラジオ局、コピーセンターなどで構成されていた。
パイレズの同作《Dystopic Future Memory》(2014)では、海賊ラジオ局から複数のプログラムが放送された。こちらはそのひとつ、地元のパンク・バンドによるアコースティック・セッション放送中の様子。 Photo: Randy Nobleza

──大学院ではどんな勉強・研究・実践を行っていますか?

周縁化されている外国人労働者たちとローカルな不安定労働者たちとの相互作用や接触領域に関する私の仮説を検証するため、ソーシャル・プラクティスや「パラキュレートリアル」な手法を用いて実験的な試みを展開しています。「パラキュレートリアル」とは、展覧会の制作に特化しないキュレートリアルな実践のことで、私の場合はラジオを実験室のようなものとして活用しながら、さまざまな状況の構築に取り組んでいます。毛利教授によるリサーチ領域の研究室、そして住友教授によるキュレーション領域の研究室を通じて、共にいること、差異、衝突、折衝といった原理をしっかり組み込んだ、一味違うキュレートリアルな実践を発展させたいですね。

──とりわけ印象深い授業、力を入れている授業はなんですか?

どの授業もそうですが、なかでもアートマネジメント、キュレーション、そしてリサーチ領域の専門科目が印象深いですね。アプローチが先鋭的なので。コンテンポラリー・アートの実践や文化の形成は世界中でつねにさまざまに発展を続けていますが、学生たちがそれを把握するにあたって、そうしたアプローチを学ぶことは不可欠だと思います。

──そのほか、とくにがんばって取り組んでいることがあったら教えてください。

いま私は、ふたつの展覧会の企画に関わっています。ひとつはバンコクで、もうひとつはマニラで、年内に開催されるものです。ふたつとも小さなプロジェクトで、複数人で「共に取り組む」ことを原理として進展しているので、どうしても折衝と衝突がついてまわりますね。修士論文と修了要件特定課題研究の実施を通じて自分なりのキュレートリアルな実践のあり方を展開しようとしているのですが、それを補完する要素として両展に取り組んでいるところです。

──将来はどんな進路に進みたいですか? とくにやってみたいことについて聞かせてください。

計画として思い描いているのは、博士課程に進み、コンテンポラリー・アートについて教鞭をとり、展覧会をキュレートすることです。とりわけ、アジア地域に特有の、「パラキュレートリアル」な実践について研究し、それがいかに作動するかを見出すことを通じて、東南アジアのアートに関わるリサーチの発展に寄与したいと考えています。

ここでは多種多様な人々が集まり、シンプルなローカル・ネットワークのつくり方を学ぶワークショップに参加している。パイレズの作品《Swarmbibliotheque》(2015)の一部として、フィリピン大学のホルヘ・ヴァルガス美術館内で実施されたもの。同作は、コラボレーションで制作されるアートに特化したフェスティバル「Project Bakawan」の出展作品で、人々の参加によって構築されるさまざまな状況を構成要素としていた。ワークショップの指導は、自由でオープンソースなテクノロジーを熱心に推進する、フィリピン大学電気電子工学科の学生たちが担当した。 Photo: Romina Goce  

翻訳=奥村雄樹[アーティスト]