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“将来のキュレーターとしての責務は、
ジェンダーとポリティカルなこと、
性と政治的なことに関する展覧会を
日本で開いていくことだと思っています”
──内海潤也

語り手=内海潤也[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修士課程在籍]

共同企画展「ふたしかなその日──Seize the Uncertain Day」展会場にて、担当したアーティストのひとり、川久保ジョイさんの作品の前で 2017年3月

──国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻を志したきっかけは?

国際基督教大学(ICU)で学んでいた学部時代に、イギリスのリーズ大学に1年間交換留学生として行っていたときに受けた授業がきっかけです。その大学の美術史のクラスでは、個々の作家や作品について語るというよりも、どのように作品が展示されていたか、どのようにアートやアーティストが言説化されてきたかというほうに焦点を当てて研究をしていたんですね。それで、従来の美術史よりもむしろ展覧会史に興味を持つようになりました。
そして、決定的だったのが、美術史家でフェミニスト理論の大家であるグリゼルダ・ポロック教授による、ドイツの国際美術展「ドクメンタ」に関する授業を聴講したことでした。そこで、今までまったく知らなかった影響力の大きな現在進行形の展覧会とキュレーションのあり方に触れ、こうしたことについてもっと深く学びたいな、と思い始めました。現在、修士論文の研究の対象にしている、2012年の「ドクメンタ」のディレクターを務めたキャロリン・クリストフ=バカルギエフの仕事を知ったのも、この授業ででした。

美術史家グリゼルダ・ポロック(左)とフェミニスト・アーティストの草分けリンダ・ベングリス(右)の対談に同席 2016年2月、ヘップワース・ウェイクフィールド(英国)にて

──入学と領域(キュレーション)を決めた動機は?

修士課程に進むにあたって、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートなどに留学するかどうか迷っていたのですが、そのときちょうど、国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻の新設説明会が開催され、聞きに行きました。けっきょく、国内のことを何も知らないで海外に出ても、プロとして使い物にならないままだろうと思って、こちらに入学したいと思いました。また、理論だけでなく実践の機会もあると聞き、キュレーション領域を選びました。展覧会づくりの内実を知らないまま、展覧会史研究はできないだろうと思っていたので。

──アート/音楽に関心を持ったきっかけは?

美術館は、小さい頃から父親について、いろいろと回っていましたね。そんなに多くは行っていないですけれど、今でも強く覚えているのは雪舟展とマグリット展です。中学・高校のときは美術館や博物館にはあまり行っていませんでしたが、バンドを組んでいたので、音楽雑誌やCDジャケット、ミュージック・ヴィデオにはかなり影響を受けていると思います。本格的に美術に興味を持ち始めたのは、高校を卒業してひとり暮らしを始めたあと、父親に誘われたイタリア旅行のときです。一般的なツアーに参加したんですけれど、教会とか美術館を回るじゃないですか。そのときに、レオナルド・ダ・ヴィンチの《受胎告知》や《最後の晩餐》などを見て、こういう芸術作品のそばにいられるのはとても豊かなことだなと感じました。その後、学芸員という職があることを知り、その仕事を目指して勉強してみようかと思って、大学に入りました。

──大学時代はどんな勉強をしてきましたか?

学部入学の動機には、美術史を学びたいということもあったのですが、主な理由としては、まず、宗教・哲学を学びたかったので、ICUに入りました。イタリア旅行の話に戻るのですが、当時はあまりにも何も知らなかったので「カトリック」と言われても「何それ?」という感じで、今、目の前で見ているもの、「これはすごいな」と思ったものの背景や、それを生み出した文化・思想を、自分がまったく知らないということがとても嫌でした。「こういうものについて大学で学べるんだ」という良い発見はあったのですけれど、いかんせん、当時はあまりに自分が知らなすぎたのがショックでした。高校の頃から自分で考えることは好きだったので──それでけっこう周りには、うっとうしく思われたりしていましたが(笑)──哲学に興味を持っていました。宗教や哲学が交差するなかで、他にも幅広くいろいろなことを知りたかったので、リベラル・アーツの学修を主体とするICUを選んだんです。
そういうわけで、学部時代の前半では、政治学、言語学、記号学、アメリカ史、国際関係論、キリスト教史、アフリカ政治史、憲法などを勉強していました。後半は、イギリス留学と学芸員資格を取るための授業に出席するのとで、ほとんど終わりました。卒論では、20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドの作家、ナターリア・ゴンチャローワについて、フェミニズムの視点から作家論を書きました。

──大学院ではどんな勉強・研究・実践を行っていますか?

修士論文の執筆に向け、今は、先ほどお話しした、2012年に開催された「ドクメンタ13」のアーティスティック・ディレクターだったクリストフ=バカルギエフが手がけた国際展のキュレーションのあり方について研究しています。ジェンダー、精神分析、思弁的実在論の観点から、どのように展覧会が立ち上がっていったのかに注目しています。

イスタンブール・ビエンナーレのメイン会場を、キャロリン・クリストフ=バカルギエフのギャラリーツアーで回った 2015年10月

──とりわけ印象深い授業、力を入れている授業はなんですか?

授業で長谷川先生と一緒に展覧会に行くことはひじょうに勉強になります。あとは長谷川先生が行った展覧会についての話を聴くことも同様です。1997年に先生が企画した「デ・ジェンダリズム」展をはじめ、金沢21世紀美術館で手がけられた展覧会の数々や、2001年に企画なさったイスタンブール・ビエンナーレ、そして2013年のシャルジャ・ビエンナーレの話を聴けたのはひじょうに得るところが大きかったです。
また、いわゆる通常の「授業」という枠にもはや収まらないと思いますが、1年時の演習の授業では展覧会実習を行い、「Seize the Uncertain Day ── ふたしかなその日」展を企画・開催しました。広報、展示、アーティストとのやりとり、搬入・搬出など、初めてのことばかりだったので、とても有意義な経験になりました。

──そのほか、とくにがんばって取り組んでいることがあったら教えてください。

とにかく人と会うことですね。展覧会のオープニングに行ったり、イベントに行ったり、もともと現代美術との接点がなかったので、この1年間は意識的にひたすら人に会いに行っていました。名刺が1年で600枚ぐらいなくなりましたね(笑)。自分自身で広範囲なコネクションをつくっておかないと、やりたい企画があっても動かせないので、これはひじょうに大事なことだと思っています。
ついこの間、5月28日に、自主企画で、ICUのキャンパス内にあるディッフェンドルファー記念館と高円寺のライブハウスを会場に、ダムタイプによるマルチ・メディア・パフォーマンス作品《S/N》の記録映像の上映会と、ブブ・ド・ラ・マドレーヌさんらのゲストを招いてのトーク・セッション、そして1984年から2000年までダムタイプの音楽を担当していた山中透さんらによる、ダムタイプの音楽にフォーカスしたライヴを開催しました。じつはダムタイプのことは大学院に入学するまではあまり知らず、深く知るようになったのは、長谷川先生と住友先生の授業を通じてでした。昨年の7月に住友先生が京都で鼎談者とした参加した、ダムタイプのリーダーだった古橋悌二さんの作品《LOVERS》修復・展示のトーク・イベントに、僕も行ったんです。そのトーク・イベントの後にダムタイプ作品の上映イベントが京都クラブメトロで行われて、《S/N》の記録映像を初めて通しで見たのもこのときだったんですね。ひじょうに最近の話です。このとき即座に「上映会をしたいです!」とブブさんに話しかけたんですけれど(笑)。この専攻に入って自分なりにいろいろと模索してきましたが、その当面の集大成となる企画だったと思っています。

右から順に、ASAKUSAディレクター大阪紘一郎、アーティストのリクリット・ティラヴァーニャ、アートプロデュース専攻の同期生ジョン・パイレーズくんと内海くん 東京・浅草のギャラリー「ASAKUSA」にて 2016年12月
ICUで企画・開催した「Dumb Type 《S/N》: Screening & Talk Session」でのダムタイプ《S/N》記録上映の様子 2017年5月

──将来はどんな進路に進みたいですか? とくにやってみたいことについて聞かせてください。

美術館学芸員を目指しています。研究に戻るとしても、展覧会というアウトプットのフォーマットを手がけられるようにはなっていたいですね。あと、自分の将来のキュレーターとしての責務は、日本において、ジェンダーとポリティカルなこと、性と政治的なことに関する展覧会を開いていくことだと思っています。なので、このふたつのトピックに関しては、研究を進めるとともに、どのような展覧会であれば、きちんと今の世の中で機能するかを考えて手がけていきたいです。もちろんジェンダーはポリティカルなことの一部に含まれる事柄ですが、日本で「政治的なこと」と言うと、そこには性に関することがあまり含まれていないような気がするので、ふたつをつなげていく仕事ができたらよいな、と思っています。