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Special Lecture
特別講義:グローバル時代の芸術文化概論

マシュー・フラー
「可塑性を讃えて」

東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科主催レクチャー

2017年7月14日開催
会場=東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部 5号館 401教室

2017年7月、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのカルチュラル・スタディーズ・センター(Centre for Cultural Studies)のディレクターで教授のマシュー・フラー氏が来日し特別講義を行いました。フラー氏は、「ソフトウェア」を単なるテクノロジーではなく文化として解釈することによって、社会、政治経済、文化のあらゆるシステムが構築され、変容し続ける世界を明らかにする「ソフトウェア・スタディーズ」の先駆的な理論家として知られています。フラー氏は、これまでメディア研究の領域で周縁的だったソフトウェアを中心軸とし、多層化されたレイヤー、アプリケーション、情報の伝達、アルゴリズム、コンピューター言語等に加えて、文化理論、ポスト構造主義などの大陸哲学、文学から、数学や神経学など自然科学の知識まで柔軟に取り入れることで、独自で画期的なメディア研究を展開していることで注目されています。主著に『ブリップの背後に:文化のソウトウェア論(Behind the Blip: Essays on the Culture’s software)』(2003)、『メディアエコロジー (Media Ecology)』(2005)、アンドリュー・ゴフィーとの共著『悪のメディア(Evil Media)』(2013)があり、同時に自らも文化実践者としてI/O/D、Mongrel、YoHAなど多くのアーティストやコレクティブと協働してきました。

Special Lecture: Matthew Fuller
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国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻の「アートプロデュース概論」(担当:毛利嘉孝教授)の特別講義「In Praise of Plasticity:可塑性を讃えての」と題された講義で、フラー氏は、以下のように語り始めました。

 

今日の講義の基本的な文脈というのは、文化論的なものの見方をコンピューター理論にいかにつなげて考えるかということから出発しています。この社会では、対抗文化で発達したコンピューターテクノロジーの理論や理解の仕方が、経済や文化に浸透していると同時に、現代の文化の形式は、例えば、急速に広がるSNSも含めて、ますますコンピューターの形式に移行しています。我々はこれまでのコンピューター理論の文脈で、それらの新しい文化的な素材を、哲学、美学、政治的にいかなるプロセスで形成されているのか、理解する必要があるのです。

 

以下、この講義の内容を簡単にまとめたいと思います。
今回の講義には大きくわけて三点のテーマがありました。それは、①サイバネティクス、②機械学習、③アナーキズムの三点です。「可塑性」とは、脳科学の用語で、「脳がいかに新しい情報を取り入れ、変容することで世界に反応することができるか」ということを説明する言葉です。可塑性(plasticity)の元の言葉である、plasticは「造形」とも訳され、世界を反映し、世界を広げて、世界の形を変える力という意味ではアートにとっても重要です。つまり、アートと科学の両方の分野で使われる「可塑性」とは、形而上学的な実験をしながら、世界に対する理解を深めることを意味するキーワ—ドなのです。
まず、サイバネティクスを考えるにあたって、「経験的な哲学者」を自称した心理学者のゴードン・パスクが、1960年代に提唱した〈不完全指定(underspecification)〉という概念をフラー氏をは取り上げました。たとえば、デザインの中に、予めインタラクティビティを埋め込むのではなく、日本のメタボリズム建築が、「建物が使う人の環境により成長し変化していく」デザインになっていることを〈不完全指定〉の例に挙げることができます。つまり、不完全指定の技術は、環境の一部として順応したコミュニケーションから成長し、その可塑性の特徴は「有限の、あるいは一つの作用のためにデザインされるわけではない、色々なものに適用する能力を持つ」ことだと言うのです。
二点目にフラー氏が議論したのは、アナキズムの政治における可塑性です。ノーム・チョムスキーは「アナーキズムは権威や支配が必然的であると主張する者は、常に立証責任を伴う」と言っています。そして、それを発展させたルドルフ・ロッカーは「私はアナキズムが最終目標だと信じるからアナーキストなのではなく、最終的な目標がないと信じているからアナーキストである。自由を保つことが、新しい形の社会生活の発見につながるだろう」と述べました。フラー氏は、この二つの発言を念頭におきながら、可塑性の発展においてアナキズムが重要な役割を果たしていることを主張しました。彼の議論によれば、可塑性を確保するためにアナキズムが果たしている二点の重要な特徴があります。

 

1.ヒエラルキーの廃止:個人と集団の自由を確保すること。
2.行動を起こすことにより思想を作りあげること:理論は直接行動によって作られるということ。

 

さらに、アナキズムの情報政治においては、情報公開を求め、知識をネットワークで共有することが必要であることもフラー氏は指摘しました。

 

最後に機械学習について、「1.今のデジタル時代の課題は、機械にインタラクティビティの余地を抽象的なレベルでいかに維持しながら論理的に理解し、デザインできるか、2.技術の社会的構築(社会の需要に従って発展する技術)を乗り越えることができるか」が焦点となるとフラー氏は指摘しました。現在、機械学習は、人工知能、制御理論、統計、認知科学、統計情報などの分野で基本的な問題が研究されています。けれども、それぞれの分野の限界があるため、統合的に解決していくかが重要だというのです。
フラー氏によると、機械学習における可塑性は「表現性」だといいます。つまり、システムの構築において、システムが環境に対して、いかに反応し、いかに自分の中で情報を把握し、反応して地図化できるかということだというのです。問題が増えれば増えるほど多くの情報と資源が必要となり、表現力は豊かになります。けれども、機械学習の可塑性の限界は、世界の複雑さをどの程度の粒度や解像度で反映できるかが肝になるため、必ずしも「データがあればあるほど、「可塑性」が担保される」のではなく、逆に可塑性の縮小につながるケースもあります。情報処理のデータや資源情報があまりに多いために、結果として世の中が単純化された二元論のように見えてしまうことがあるというのです。その一方で、機械学習の可塑性が、脱構築的なアプローチで、構造が固定され堅固になっているナショナリズムなどの問題に対して、批判的な面を向けられる期待もできるとのではないかとフラー氏は示唆しました。

 

質疑応答では、学生から多くの質問の手が挙がりました。その一つは、「アナキズムの暴力性についてどう思うか」というものです。フラー氏は「アナキズムの暴力性自体は避けられないことであり、モラルの問題になる。活動からくる直接的な破壊行動について、〈暴力的〉と捉えるかどうかを問わなければならない。つまり、一つの社会をどんな権力がどのような権力を行使しているのか、それによって何が許され、何が許されていないのかを問い正さなくてはいけない」と回答しました。

 

今回の講義では、アナーキーで哲学的な思考で世界に対する新しい見方を探求するフラー氏の、最新の研究の一端を知ることができました。可塑性という決して一般的とは言えない用語が、デジタルテクノロジー、メディア、アート、科学、政治経済という、今日私たちが生きる世界そのものを理解するキー概念になるという発想から、フラー氏のメディア理論と実践から広がる知見の深さを垣間見たように思います。さらに、これまでフラー氏が論じてきたデザイン、建築、アートといった多岐に渡る文化的実践の想像力が持つ可能性にこだわり、イデオロギーやモラルなど予め前提とされたものごとを越えて発見し、世界を反映し、研究し続ける恩師、マシュー・フラー氏のおかげで、彼の指導の下でゴールドスミスで過ごした私がその貴重な2年をあらためて思い出す特別な時間になりました。

文=狩野愛[東京藝術大学大学院博士後期課程音楽文化学専攻芸術環境創造領域]