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Special Lecture Report
住吉智恵

特別講義:グローバル時代の芸術文化概論
ミゲル・ソーサ
「今日の芸術産業のための

レオナルド・ダ・ヴィンチの7つの発想」

東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科主催レクチャー

2017年7月21日開催
会場=東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部 5号館 409教室

2017年7月21日、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻が開講する修士課程授業科目「グローバル時代の芸術文化概論」の一環として、世界的に活動するピアニスト・指揮者・作曲家・音楽研究者であり、リベラル・アーツ教育における多重知性の研究者として知られるミゲル・ソーサ氏を国際教養大学(秋田)よりお招きして、特別授業「Seven Ideas from Leonardo da Vinci for the Arts Industry Today:今日の芸術産業のためのレオナルド・ダ・ヴィンチの7つの発想」が開催されました。

Special Lecture: ミゲル・ソーサ
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本講義では、レオナルド・ダ・ヴィンチ(以下レオナルド)がその日記の中で提唱している、「教養ある人文主義的な心」を養うための7つの原理・法則について論考しています。
7つの原理に触れる前に、ソーサ氏はまずレオナルドの活躍したルネサンス時代にこれらが導きだされた文化的背景について、さらに以降より現在に至るまでの芸術産業をめぐる問題の推移について、以下のように概説しました。

「ルネサンス期のイタリアでは、ヴェネツィアやフェレンツェなど主要都市に富が集中し、美術や建築ばかりか人文科学のあらゆる分野において、全方位的に人々の関心と探究心が高まりました。レオナルドは自身の工房でさまざまな技術を研鑽しましたが、彼の手になる絵画や彫刻の多くは未完成です。彼は研究や創作を完成させた成果物にはさほど興味はなく、そのプロセス自体に関心を寄せていたのです。
長い歴史の中で、人間は手仕事で何かをつくることで生計を立ててきましたが、今日では「才能」を使って糧を得る時代が到来しています。
ところが、私たちは物事のコストについては知っていても、真の価値については理解していません。これからの時代、芸術の知的価値、文化的価値、感情的価値を知ることは、ますます必要となるでしょう。オスカー・ワイルドの「(お金を稼がない)芸術は役に立たない」というおよそ100年前のステートメントは今日では現実のものとなり、優れた著名な芸術家たちは、作品の質や重要性でなく、数量や価格で評価されています。
レオナルドは、芸術を扱う人々にとってもっとも重要な機能は、物事の意義を超えて〈観ることを学ぶこと〉と信じ、この7つの原理を提唱しました」。

続いて、ソーサ氏は自身の体験や具体例を挙げつつ、7つの原理とそこから解釈した発想法について、それぞれ学生同士の1分間のディスカッションをはさみながら解説していきました。

氏によれば、第1の原理は「キュリオシタ(好奇心) Curiosita (curiosity)」。人生における成長は、飽くなき興味と弛まず学ぼうとする探究心から生まれます。それは観察すること、質問すること、想像力を鍛えることによって培われ、感情的知性にもとづいて実践されます。
第2の原理は「ディモストラツィオーネ(提示と分析) Dimonstrazione (demonstration and research)」。知識を経験によって検証し、批評的思考によって失敗からも学ぶ、問題解決の技術です。状況の変化により問題の様相は変化するものですから、解決策を立てる前にまず、問題の性質を見極めることが重要です。
第3の原理は「センサツィオーネ(感覚の養成) Sensazione (development of the senses)」。良質のものとそうでないものとの違いを認識する経験値を高めるため、五感を磨くことが必要です。光と色の持つ力、小さなものや細部の美しさ、色彩や質感、音、動き、味わいの調和美を認識し、感覚を発達させるために、旅をすることを推奨します。
第4の原理は「スフマート(柔軟性) Sfumato (flexibility)」。曖昧さ、パラドックス、不確実性を積極的に受け入れ、さまざまな見解や異なる視点を集めて解決策を導き出すことの重要性です。英訳の難しい概念ですが、常識や信念を疑い、意識を開く技術であるとも言い換えられます。また、柔軟性を取り入れた企業や組織がアイデンティティを確立し、ビジネスの成功を収めた事例を挙げました。
第5の原理は「アルテ・エ・シエンツァ(芸術と科学) Arte e Scienza (art and science)」。全脳思考によって、芸術と科学、論理と創造力のバランスをとることです。レオナルドの時代には芸術と科学は両輪と考えられていましたが、現代芸術において、どのように両者を統合し、アートとテクノロジーを両立し、用の美を究めることができるか、とソーサ氏は問いかけます。
第6の原理は「コーポラリタ(健康の維持) corporalita (Body and its Fitness)」。レオナルドは人体解剖により身体の内部を描いた最初の人物でした。心身ともに健康であることが、芸術の優雅さを実現し、よく食べよく考えることが、寛容性と平衡感覚を育むという概念を取り上げました。さらに自分自身と他者をいたわることが、そのコストのかからない実践であると述べました。
第7の原理は「コネッシオーネ(接続性) Connessione (connecting)」。すべての物事と現象は関連し合っているという認識と理解について解説しました。それはコラボレーションの技術です。論理と想像力を結びつけること、システムと接続可能なアプリケーションの関連性を認識し、学んだことや知識をすべてつなげることが人生を豊かにすると説きました。「アラブの春」を例に挙げ、現代のインターネット社会においてSNSによる連携が世界的なチームワークを推進していることを強調し、さらに複雑化した現代社会では相互認識がコラボレーションの鍵だと述べました。

続いて、枝川明敬教授より、補足的な解説がありました。ヨーロッパの芸術研究の基礎となる認識論と、中世以来、知識層の共通言語であったラテン語の基本概念が、芸術を志すうえで役立つことを伝えられました。
その後の質疑応答では、先ず枝川教授よりソーサ氏へ、ふたつの質問が投げかけられました。

第1の質問は、「音楽家ダニエル・バレンボイムがドイツ政府に提案した、音楽学校における哲学など教養科目の強化とその効果についての見解」でした。ソーサ氏は、ユダヤ人であるバレンボイムとパレスチナ人の思想家エドワード・サイードのイデオロギーを超えたコラボレーションを例に挙げ、「人間の相互理解と、境界を超えたより良い社会を実現するために有効な唯一の手段こそ、文化・芸術である」と述べました。また、レオナルドが「世界史上初の小規模なグローバリゼーション化ともいえる、啓蒙と交易の黎明期」に生きたことに触れ、ここで再び、彼の提唱する7つの原理の有効性に立ち返りました。

第2の質問は、「グローバリゼーションの進む世界において、経済・商業に比べて、近年、疎かにされている文化・芸術の位置づけについて」でした。ソーサ先生は、レオナルドの時代には「美」がモノの価値の信頼性や流通の規準であり目的であったという歴史を踏まえつつ、現代のグローバリゼーションが生んだ商業主義はこれからも永遠に続くであろうと予測します。そして、モノの価値には利便性と永続性というふたつの道があり、文化・芸術においてもその違いはあるが優劣はなく、大事なのは、人々がどちらへもアクセスできる環境であると述べました。

続いて、枝川教授とソーサ氏がともに、西洋美術史上の芸術家をめぐる社会的背景を比較しながら、本講義について解説を加えました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの時代、芸術家はキリスト教会や貴族など権力者に雇われて創作していたため、コミッション・ワークの売り込みをしなければ、制作費も得られず、生き残れませんでした。メディチ家は新興財閥であったため、新人芸術家であるレオナルドやミケランジェロを青田買いし、その投資価値は当時すでに高く、金の延べ棒よりも高騰したといわれます。やがて市民革命によって新興富裕層が台頭すると、芸術家は雇い主を失います。モーツァルトやデューラーはその過渡期に生きた芸術家で、作品を各国の王侯貴族や富裕層に売り歩いていました。ベートヴェンの時代になってようやく芸術家は自作の著作権を獲得し、音楽出版や画商というビジネスが誕生します。つまり、芸術家は作品を制作するだけでは存続できず、芸術は古来からビジネスでした。神のために作品をつくる芸術家などいなかったのです。こうした芸術と経済の関係性、芸術の価値を上げるマーケティングの可能性といった根本的なコンテクストを把握することは、本講義の理解を深め、アーティストもこういった教育を受けることが必要だろうとふたりは考えます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの7つの原理・法則を研究することは、アートプロジェクト・マネージャー、キュレーター、音楽マネージャー、ファシリテーター、芸術文化の研究者にとってのある重要なゴールを想起させます。それは、あらゆる学際的領域を互いに接続させる意識を高めるという役割です。本講義は、芸術産業に携わるプロフェッショナルが、コミュニケーション、創造性の研究、生涯学習という3つの鍵となる分野の発展に寄与する意識を向上させるための講義だったといえるでしょう。

文=住吉智恵[アートプロデューサー・アートジャーナリスト]