アーツ前橋の事案に対する当研究科の対応方針

 すでに新聞やウェブメディアで報じられている通り、2019年末から2020年初頭までの間にアーツ前橋(群馬県前橋市)が県内の作家2人の遺族から借用した作品6点(木版画4点、書2点)が紛失するという事案が起こりました。紛失当時のアーツ前橋館長は、本学大学院国際芸術創造研究科(以下研究科と略記)アートプロデュース専攻キュレーション領域の住友文彦准教授(肩書きは当時。2021年4月より教授)が兼職していました。

 当初の報道以来、私たちは動向を注視し、その対応について研究科の教員間で話し合いを重ね,また住友教授とは人権に十分配慮しつつ面接を行いました。原則としては前橋市およびアーツ前橋とその元館長の住友教授との間の問題であるべきこの案件について、東京藝術大学、そして本研究科が議論してきたのは以下の3つの理由によります。

  • すでに住友教授がアーツ前橋を退任し、本学の教育と研究に専念しているという状況の中で、今回の事案の本質が、住友教授が所属する当研究科の国際的な人材育成を目指す教育や研究の方針と密接に結びついていること。
  • 退任後のメディアの報道や美術評論家連盟の声明において住友教授の学芸員としての能力と、職業倫理、そして大学における教育能力に対して重大な疑義が呈されていること。
  • この作品紛失が、そもそも芸術家や芸術に関わる専門家の育成に関わる我が国唯一の国立芸術総合大学としては看過できない問題を多く含んでいること。

 後期授業を迎えるにあたって、今後の研究科の対応について方針が固まりましたのでここにご報告させていただきます。ちなみにこの方針については9月23日に千住キャンパスにおいて別途対面で学生向けの報告会を開催し、研究科修士課程・博士課程の学生には既にお伝えしているものです。

(1)アーツ前橋の借用作品の紛失に対して

 最初に、今回のアーツ前橋の借用作品の紛失に対してあらためて私たちも遺憾の意を表明いたします。今回の出来事を私たちは決してあってはならない出来事として極めて深刻に受け止めています。最終的には現在紛失している作品が発見され、問題が完全に解決することを強く望んでいます。また、大切な作品を貸与していただいた作家のご遺族に対して、最大限の意を尽くすことが何よりも大事なことだと考えています。ご遺族に対して館からの報告が遅れたことに対しても非常に大きな問題だと認識しています。いずれにしても、今回の事案は代替性のきかない芸術品の紛失というものであり,芸術文化にとって何よりも重要なものが、作家とその作品であることは言うまでもありません。今回の事案で、アーツ前橋や前橋市という個別の組織だけではなく、美術館や博物館、そして広く文化芸術に関わるさまざまな組織や関係者に対する信頼を損なうことが懸念されます。その信頼を回復するとともに、再発を防ぐために教育研究機関として何ができるのかを真摯に考えたいと思います。

(2)東京藝術大学における検証委員会の設置

 今回の事案を考えるために東京藝術大学内に、検証委員会を設置し、この問題について大学としても検証を試みます。すでに前橋市を中心に「アーツ前橋作品紛失調査委員会」が調査を行い、現在では「アーツ前橋あり方検討委員会」などが将来を考える上であらためて今回の事案を検証しています。また、新聞やウェブメディアでも、取材を踏まえたさまざまな検証が行われています。一方で、住友教授からは市に対して意見書が提出され、両者の見解に齟齬が見られることも事実です。東京藝術大学の検証委員会は、こうしたこれまでの検証や両者の主張を踏まえた上で、教育研究機関として私たちがこの事案をどのように理解すればいいのか、学内外の専門家などの聞き取り調査を通じて明らかにしたいと考えています。

(3)美術作品や関連資料の管理、収集、整理、保管等に関する教育カリキュラムの拡張と充実

 今回の事案をきっかけに、美術作品や関連資料の収集、整理、保存管理、これらにかかわる法律の基礎知識、コンプライアンス、キュレーターの職業倫理、適切な情報公開の重要性を認識し、この経験を私たちの研究・教育プログラムに反映させます。教育のカリキュラムとして学芸員資格に必要な学芸員科目の中で扱われていた事柄を超えて、本研究科ではさらに美術館や博物館、アートスペースなどにおける、現在の実践的な問題を踏まえた上で、教育・研究の最重要課題として位置づけて、取り組んでいきます。

 具体的には2022年度から新設科目を設け、特にキュレーション領域を中心にカリキュラムを策定する予定です。

(4)研究科内の教育・研究体制について

 住友教授からは,今回の事案を受けて学内外の活動を当分の間休止したい旨申し出ありました。その間は、代理の先生に授業や演習、論文指導をお願いしつつ、研究科内の常勤教員が運営業務を全面的にカバーすることで、教育や研究、そして大学の運営について支障のない体制を整えます。

 今回の件で、大学、あるいは研究科に対しても直接お問い合わせやご意見をいただきました。こうした声を真摯に受け止めることの必要性を国立大学の社会的責務として確認する一方で、教育機関としては報道やSNSなどの議論によって学生間に不安と動揺が広がる中で、学生に対する教育の責任と精神的なケアについては最優先に取り組むべきことだと考えてきました。社会的責務を果たしつつ特に学生や大学院修了生に対して不利益のないように、本件に対応していく所存です。なにとぞご理解の上、ご協力を宜しくお願い申し上げます。

2021年10月11日
大学院国際芸術創造研究科長 熊倉純子