Exhibition
「ジャパノラマ:1970年以降のアートの新しいヴィジョン」展開幕

本研究科の長谷川祐子教授がキュレーションを手がけた展覧会「ジャパノラマ:1970年以降のアートの新しいヴィジョン」展が、フランスのポンピドゥ・センター・メッス別館にて2017年10月20日から2018年3月5日まで開催中です。
タイトルの示すように、1970年から現在まで、半世紀近くにおよぶ日本のアートを概観する本展は、108人・組による約350点の作品を一堂に展覧する大規模な企画展です。本展のリサーチ・フェローを務めた本研究科の教育研究助手、島田浩太朗をはじめ、アートプロデュース専攻修士課程キュレーション領域在籍中の黒沢聖覇はキュレイトリアル・アシスタントとして制作プロセス、展示およびカタログ解説にかかわり、鈴木葉二、内海潤也は、リサーチおよびカタログ解説に寄与しました。ヨーロッパを訪れる方はぜひご高覧ください。

展覧会名:「ジャパノラマ:1970年以降の新しい日本のアート Japanorama: A new vision on art since 1970」展
会期:2017年10月20日(金)〜2018年3月5日(月)
開館時間:10:00〜18:00(10月31日までの金・土・日は19:00まで開館)
休館日:火曜
会場:ポンピドゥ・センター・メッス別館
Centre Pompidou-Metz
1, parvis des Droits-de-l’Homme CS 90490 F-57020 Metz Cedex 1

キュレーター:長谷川祐子[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授、東京都現代美術館参事]

主催:独立行政法人 国際交流基金、ポンピドゥ・センター・メッス別館
展示デザイン:妹島和世[SANAA]

ウェブサイト: http://www.centrepompidou-metz.fr/en/japanorama-new-vision-art-1970

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Centre Pompidou-Metz

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Kenji YANOBE, Atom Suit Project – Desert, 1998
C-prints, 49.8 x 49.8 cm Private Collection © Kenji Yanobe © Photo : Seiji Toyonaga

 

開催趣旨:
1986年、ポンピドゥ・センター(パリ)で開催された「前衛芸術の日本 1910-1970  Le Japon des avant-gardes 1910- 1970」展では、ヨーロッパの前衛芸術から影響を受けてきた日本のモダニズム表現が概観された。2017年にメッス分館で開催される本展は、これに続くものとして、1970年代から現在までを対象とする。1970年は大阪万博の開催年であり、日本はモダニズムのひとつの頂点を迎えていた。コンセプチュアルなアート作品を制作する現代作家が世界各地から多数参加した「人間と物質」展が東京で開催されたのも同年である。それは、第二次世界大戦後に築かれた戦後体制から日本が脱却しようとする移行期の始まりだった。欧米の文化的影響からの独立である。「戦後」の解放期、現実肯定的な熱い表現主義や、反芸術のアクションの時代が終わり、現実を否定あるいは相対化する流れは内面化し、70年代の還元主義につながった。アートで言えば、物質を還元する「もの派」と概念を還元する「日本概念派」が活躍し、欧米の影響を遮断して自己文化の形成を目指した。
日本が東京を中心とするポストモダンの未来的な文化国家として世界の地図に浮上したのは1980年代である。「バブル」と呼ばれた経済的繁栄、消費文化との強い関係のもとで、サブカルチャー、アート、アカデミックな思想が、文化という名のもとに同一のレベルで相互交流し、表層的で記号的な戯れを特徴とする、フローする文化が生まれた。1979 年 YMO 結成とテクノポップの興隆、1981 年川久保玲がパリ・コレクションにおいてもたらした黒の衝撃。「脱構築」や「リミックス」という方法をとりながら、圧倒的な個性で立ち上がった1980年代において、 YMO や川久保は弁証法的な進化を遂げつつ、可愛らしさと「ポスト・ヒューマン」という意味での非人間的な身体、デジタル的な非身体性、アジアと西洋を、記号的に差異化によって融合した。その手法は、戦後を引きずっていた身体性と感情の澱を浄化し、リセットするものであり、そこに新しさがあった。80年代の文化はある意味で、自己を他者との差異によって顕示する自意識過剰な時代の産物といえる。
1990年代に入り、バブルの崩壊と不況は、明日の見えない不安定さ、曖昧な空気をつくりだし、若者たちは記号化されえないストレートなリアルを模索し始める。一方でそれは、「無意識の過剰」ともいえるほどにフラットな個人をつくりだした。不安定さ、あいまいさは、生のあやうさ、はかなさと希望があいまって、透明感やフラジャイルな形態の表現として現れる。90年代前半に登場した、ホンマタカシによる郊外を写した一連の写真、あるいは、妹島和世による従来の文法を逸脱した建築などは、人々に意味やプログラムの決定を委ねるという点で革新的なものであった。当時「ネオポップ」と呼ばれた、村上隆らによるポップカルチャーのイメージの流用は、スペクタクル的であり、かつ、強い言説性を持ち、環境問題や政治社会状況の変化、混沌からくる心理的な不安、影を反映している。
90年代後半は、95年に起きた阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を経て、人々が「大きな政治や社会」への懐疑を抱き始め、相互扶助的な「小さなコミュニケーション」をより重視するようになった時代である。アートにおいては、より個人的で日常性に根ざしたささやかな表現がつくりだされるようになる。個人の感情や自意識を、即興やアマチュアリズムの精神や手法で表現することをとおして、コミュニケーションの媒介となる象徴や想像力の領域を再生させようとする試みが多数見られた。各人が、個人または小さなコミュニティのレベルで、社会にコミットしていくポリティクス。大きな変化や改革を求めるのではなく、主体と客体、内と外のやわらかで自由な越境をとおして、目の前の可能性を探っていく方向性は、2010年代の現在も続いている。この方向性は、私的写真、セルフ・ドキュメンタリーに代表される映像、プログラム建築、ナラティヴを内包したファッションなど、あらゆる表現ジャンルに共通している。2011年に起こった「3.11」、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を経て、アートをはじめとするさまざまな創造活動において、社会的なコミットメントの度合いは増大している。
本展は、複数のパラメーターの交錯を可視化し、時系列に沿ってではなくテーマに沿って、6つの島──「A: 奇妙なオブジェクト/身体─ポスト・ヒューマン」「B: ポップ・アート─1980年代以前/以後」「C: 協働/参加性/共有」「D: 抵抗のポリティクス─ポエティクス」「E: 浮遊する主体性/私的ドキュメンタリー」「F: 物質の関係性/ミニマリズム」──アーキペラゴーを有機的につなげるユニークな構成となる。モダニズムの文脈に則り国家的文化として形成をなしえた建築、デザインに対して、現代アートは、包括的な理論や言説に貫かれることなく、さまざまな文化や出来事、現実の状況と関係を持ちながら混沌としたまま展開してきた。その中心になるのが、個人の自意識のあり方と、現実環境に敏感に反応していく身体性、身体性と結びついている知や知覚の生産である。一貫した言説が形成されえなかったゆえに、多くのユニークな表現が生まれえたということもできる。これは日本の現代アート、視覚カルチャーを再考し、新たなトランスレーションを試みる展覧会である。

 

詳細は国際交流基金のウェブサイトをご覧ください