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In Depth

Special Lecture Report
安藤悠希

チャプター・アート・センターの実践
ジェームズ・タイソン氏によるレクチャーを受けて

1. ふたつの問い

去る2016年7月22日、「グローバル時代の芸術文化概論」の第3回目にあたるジェームズ・タイソン氏のレクチャーでは、氏が1999年より2011年までシアター部門のスタッフの仕事に携わっていた、ウェールズ地方カーディフにあるチャプター・アート・センターの事例を題材に、講義が行われた。

チャプター・アート・センター。日本では、耳馴染みのあるアート・センターとは言い難いだろう。かくいう私も、今回のレクチャーをとおして初めて知った施設だ。本レクチャーにおいて、タイソン氏は大きな問いを立てた。「アート・センターの役割とは何だろうか? どのように地域と芸術をつなげることができるのだろうか?」。そして、この問いに向かうためのひとつのケーススタディとして、チャプター・アート・センターをその歴史的背景から詳細に説明した。


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2. チャプター・アート・センターの歴史と展開

まず、タイソン氏の説明に沿いながら順を追って紹介しよう。チャプター・アート・センターについて考えるうえで、第二次世界大戦後のイギリスの文化状況を理解することは欠かせない。アート・センターの創立年である1971年から遡ること四半世紀、1946年に、イギリスにおいてアーツ・カウンシル・オブ・グレートブリテンが設立された。終戦直後のこの時期のイギリスは、福祉国家としても知られ、戦後の荒廃を経て都市を再興しようとする過程で、公共の利益が重視されていた。そのため、初期のアーツ・カウンシルでは、政府の資金は国立のオーケストラやバレエ、そして同じく国立のギャラリーに対して配分されることが多かったようだ。公の理念に合致しやすい対象物に絞られていたとも言えよう。戦後復興を経た20世紀半ばからは、次第に新たな芸術形態に光が当てられるようになった。チャプター・アート・センターが創立に向けて動き出したのも、まさにこの「新たな芸術形態」の登場と時を同じくしている。

チャプター・アート・センターの3人の創立者が、もともと異なる芸術分野の出身者であったということは非常に興味深い。ある意味、この施設は、当初から領域横断的な視点を含んでいたのだ。同時代のさまざまな芸術が興隆していくなかで、グローバルな立ち位置から「いま」を見つめる拠点を目指した。それが、いわゆる大国ではないウェールズで沸き起こったのだ。巨大な芸術市場の主流から一歩外れた場所で、多分野の芸術家たちが互いに交流し、融合し、そしてその成果を広範囲のオーディエンスに向けて発信することができるようになった。

このようにして、チャプター・アート・センターは1971年に開館した。この時代は、いまから振り返ると、「黄金期」と懐かしんで語られる。戦後復興とイギリスの福祉国家としての歩みに後押しされ、新たな芸術的志向や画期的な取り組みが受け入れられていた。そして、チャプター・アート・センターはこれらの芸術と社会とを媒介する施設として、重要な役割を果たすようになった。主に、演劇の分野でチャプター・アート・センターはその力を存分に発揮した。当時勃興していたインディペンデントな劇団とともに、いわゆる従来型の劇場ではない場所で行われる演劇パフォーマンスと手を携え、より大きなネットワークを広げるようになったのだ。

しかし、つづく1980年代は、ある意味でターニングポイントと言えるべき時代でもあった。その前の10年間で、ユートピア的な、個々人の独立した活動に重きが置かれていたのに対し、より大きな資本や組織に傾倒することが多くなった。この潮流の背景には、サッチャーによる保守政権の影響が大いに考えられる。サッチャー政権のもとで、戦後からつながる福祉国家、そして文化国家としてのイギリス像が、より経済を反映したものへと舵を切ったのだ。より合理的なアウトプットの成果を求められるようにもなり、必然的に小規模なアート団体は生き残ることが難しくなったとも言えるだろう。つまり、チャプター・アート・センターの開館以来追い風であった1970年代の文化的な雰囲気から一転、80年代は文化と経済のはざまでやや停滞することを余儀なくされたのだ。


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3. 芸術に観客を巻き込むために

そしてこれ以降、チャプター・アート・センターを取り巻く状況を考えるうえで、経済的な観点が必須となってくる。経済やビジネスの世界的な文脈の中で、どうあるべきなのか? 初期において、文化的施設の役割は、教育的な側面を支えることだと考えられていた。もちろん、この視点は現在においても非常に重要で、アーティストと協働して芸術を推進し、そのコミュニティにおける文化の多様性を保持することは欠かせない。しかし、フォーカスは着実に経済に向けられ、前述の教育的視点に加えて、いまではより個人的な、消費主義としての芸術を促進する方向に動いている。さらに、かつてはアーティストが主導する芸術を提供する場として施設は機能していたが、そこで提供されるさまざまなプログラムを観客がどのように体験するかをオーガナイズする場へと転換した。チャプター・アート・センターの例で言っても、たとえばカフェやバーといった設備のように、直接的には芸術空間とは考えられないとしても、アーティストではない人々が集い芸術的体験と遭遇する社交の場の重要性が高まっている。施設の中に観客が入ってはじめて芸術とかかわりを持てるような環境をもって良しとするのではなく、施設の運営側が観客にとってアクセシブルな空間をどうつくりだすことができるのか、より積極的に考え始めなければならない。

この視点は、これからの社会で芸術を表現する「場」にかかわっていく者として、決して忘れてはならないと強く感じる。私はつねづね、アートマネジメントにおいては、芸術家のサポートはもとより、包括的な視点を持って芸術に観客を巻き込むことが大切だと思っている。それはたんに、昨今流行りの「観客参加型」の作品を多用するということではない。観客がいかに自発的に芸術と接点を持つようになるのか、それをアートマネジメントによって促進することで、結果として社会全体を豊かにすることができると考えているからだ。これは、タイソン氏による問い——アート・センターの役割とは何だろうか? どのように地域と芸術をつなげることができるのだろうか?——につながる鍵になるのではないだろうか。たとえば、私が所属する箕口ゼミでは、空間と芸術、そして観客という3つの要素の組み合わせに注力したクラシック音楽のコンサートの企画を立てている。演奏者と観客がステージと客席に分断されるのではなく、より相互に影響しあえる関係性を持つ形状に配置できないだろうか。また、一方向に評価の定まった演奏を届けるのではなく、さまざまな視点を示唆するような提供法がありうるのではないか。このように、各要素の接続に注目しながら現在コンサートをつくりあげている最中だが、今回のレクチャーの内容はこのコンサート企画の問題意識と通底しているところが多く、有意義だった。

だが、アート・センターの持つ社交性や、地域に対しての公開性の問題は、必ずしも新しいアイディアではないとも考えられる。むしろ、原点に回帰したと言えるのではないだろうか。芸術が行われる場が社交場を兼ねていたことは、劇場のホワイエにも確認できる。古くは、17世紀のイギリスの「プレジャーガーデン」にまでさかのぼるだろう。このように、厳密には芸術空間ではない場所も含めての「アート・センター」という考え方は、ある意味で伝統的であり、その原型にあらためてスポットが当てられているのが現状なのだ。

アートマネジメントとは非常に流動的な役割を担っている。その時、その場所、その人々との関係性の中で、それぞれをつなぎ、芸術に寄り添っていく道を注意深く探っていきたいと、強く感じるレクチャーであった。


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文=安藤悠希[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修士課程]

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