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Report
文=陳穎琳・幅谷真理・山下直弥

 

今、オルガンの演奏会を「つくる」ということ

 

ー奏楽堂企画「オルガンと話してみたらー新しい風を求めてー」を通してー

 

 

わたしたちは芸術表現の基盤となるものを、表現者に寄り添いながらともに解釈し、深め、そして発展させていく試みをしている。

 

表現者ではなく、仲介者としてどのように芸術の場と関わっていくのか。

 

このオルガンコンサートがその先を指し示してくれた気がする。

 

 

2018年3月30日、東京藝術大学奏楽堂にて第12回奏楽堂企画学内公募最優秀企画『オルガンと話してみたら–新しい風を求めて-』が行われた。「奏楽堂企画学内公募」は、演奏藝術センターの主催で年に1度学内で行われる演奏会の企画コンペティションである。最優秀に選ばれた企画は大学から助成を受け、大ホール「奏楽堂」(定員:1000名)にて演奏会を行う権利を獲得する。2017年度は本研究科アートマネジメント分野修士2年陳穎琳・幅谷真理・山下直弥と音楽研究科オルガン専攻修士2年阿部翠・内田光音・本田ひまわりの共同企画「オルガンと話してみたらー新しい風を求めてー」が選ばれた。本レポートではわたしたちの企画を振り返りながら、演奏会の内容ではなく、アートマネジメントの視点から演奏会までのプロセスについて重きをおきたい。

 

演奏会の様子

 

演奏会の様子

 

当日、客席の9割が埋まった会場

 

演出会議の様子

 

 

「オルガン」という楽器

 

オルガンについて考えたときに何を連想するだろうか。美しい彫刻・建築物とも捉えられる壮大さ。教会やキリスト教を連想させるような神聖さ。空間を一瞬で埋め尽くすような美しい音を放つ楽器。いざ、オルガンと向かい合ってみると圧倒されるような重厚な和音に包まれ、今まで体験したこともないような感覚になる。

今では多くのホールにオルガンが設置され、ランチタイムコンサートなど、オルガンを身近にするための様々な試みが行われている。しかし、未だ多くの人にとって触れる機会は少ない。一般的にオルガンという楽器とわたしたちの生活には一定の距離が存在している。オルガンは製作費のみならず、メンテナンスなどの維持費を必要とする。バブル期の公共ホール建設ラッシュに伴い、数多く導入されたオルガンを今後どのように維持し、活用するかは多くのコンサートホールが直面している課題だ。このような状況の中で、「オルガン」という楽器をテーマに「新しい」オルガンコンサートを創ることをわたしたちのミッションとした。

 

オルガン奏者とともに行ったアイデア出し

 

和太鼓奏者 林英哲氏と本田ひまわりによる「風神・雷神(作曲:新実徳英)」

 

 

「オルガンといえばバッハ」からの解放

 

今回の企画は、「オルガン奏者との対話」から生まれた。何度もオルガン奏者とのミーティングを重ねる中で、当初から企画の根底にあったことが2点ある。

1点目は「オルガンといえばバッハ」という既に固定化されているオルガンのイメージから脱却するために「オルガンの違う姿を見せたい」ということだ。「パイプオルガンを築いてきた西洋の歴史やキリスト教文化を学ぶことは必要不可欠だが、西洋ではないこの地でこそ奏でられるオルガン音楽があるのではないか?」というオルガン奏者たちの一つの疑問から、この企画にたどりついた。

オルガン科の学生は演奏をより深めるために、西洋音楽の歴史やキリスト教文化を学ぶ。しかし、そもそも日本のキリスト教と西洋のキリスト教、それぞれで異なる歴史があり、ヨーロッパにおけるオルガンと日本におけるオルガンの成り立ちも異なっている(これは日本のオルガンや、ましてや西洋文化を否定しているわけではない)。明治期に西洋音楽が到来してから約1世紀半。日本において音楽を始める際はまず五線譜を学ぶ、といったようにクラシック音楽の手法や楽器が定着し、日本だけでなく世界においてスタンダードとなっている。現に東京藝術大学音楽学部では民族音楽や邦楽、電子音楽など様々な音楽分野を学ぶことができるが、西洋音楽を専門とする人が大半を占めている。

わたしたちが生きる社会にはあらゆる文化が混在する。音楽においてもクラシック音楽だけでなく、邦楽、ジャズ、民族音楽など様々な音楽が存在し、互いに影響を及ぼし合うなかで新たな音楽が生まれている。わたしたちは自らのアイデンティティを模索し、自分の文化の本質を問い直しながら、様々な文化と影響し合っている。キリスト教と密接な関係を持つなど西洋文化と切っても切り離せない関係にあるオルガンという楽器を題材に、西洋文化に沿いつつも今に生きるわたしたちをもう一度捉え直すことができるのでないか。この演奏会を通してわたしたちにしか作ることができない新しい文化の価値を模索し、提示できるのではないか。私たちはこのように考えたのだ。

 

作曲家 武久源造氏の委嘱新曲作品についての打ち合わせ

 

作曲家 権代敦彦氏による演奏指導

 

 

複雑なものへの糸口を創る

 

2点目は「オルガンの新しい一面」を聴衆に感じてもらうために、ただ単純化されたものや馴染みのあるものを提示するのではなく、複雑なものを理解してもらうための工夫をしたということである。そこで「今に生きるオルガンを捉えなおす」というテーマから、演奏会の曲目を邦人作曲家の楽曲のみで行おうと考えた。「現代音楽」も「オルガン音楽」も、一定層のファンは存在する。しかし大多数の人にとってあまり馴染みがない。2時間という短い時間の中で、演奏会の意図を理解してもらい、オルガンの新しい一面を見出してもらうには曲を演奏するだけでは足りず、工夫が必要だった。

それは一般の人々がわかりやすい様にこちら側からコンテンツの複雑度や難解度を下げるということではない。企画の本質を維持しつつ、新しい芸術の価値を共有する場をいかにうまく整えるかということである。そこで生まれたのが、演奏会全体の演出を務めた小野龍一さん(先端芸術表現科修士2年)を中心に考えた演奏会を一つの作品とし、演奏会全体をデザインする「演奏会を演出する」という考えである。演奏会の流れを損なわないための「拍手なし」の演奏会スタイル、シアターオルガンという要素に着目して行った中島夏樹さん(先端芸術表現科修士2年)のオルガンを様々な角度から連想させるような「サウンドインスタレーション」、サウンドインスタレーションとともに曲間に投影した山下絵理さん(デザイン専攻修士1年)が製作した作曲家やオルガンビルダーの言葉をデザインする「タイポグラフィー」、オルガンビルダーのMatthieu Garnier氏の「パフォーマンス」、筆者を中心に作成したインタビュー記録「インタビューアンソロジー」など、聴衆が演奏会の意図を理解するための糸口をたくさん創り、その多くの要素がバラバラにならないように手繰り寄せる作業を行った。

これらの要素は一般の人々が抱いている「演奏会」という固定化されたスタイルから、人々が今から目の前に現れる聴いたこともない新しいオルガン音楽へと緩やかに誘導する工夫でもあった。今回の演奏会では聴衆が新たな表現と向かい合うための鑑賞の時間と場を視覚的・聴覚的にデザインしたのである。

 

インタビューを元に作成したタイポグラフィーとオルガンビルダー Matthieu Garnier氏によるパフォーマンス

 

委嘱作品「風の諸相(作曲:武久源造)」

 

 

演奏会をつくるとは

 

音楽は再現芸術と言われる。美術とは違い、長い歴史の中で何度も何度も同じ作品が様々な人々に演奏されるという、長い歴史を持って現代まで受け継がれている。しかし、実際には作品は演奏会という1つの形式の中で場所やコンセプト、時間、流れ、演奏者など、様々な要因によって変化し、享受する聴衆にとって感じ方や意味合い、伝わり方はその時々で全く違うものとなる。今回の演奏会は「現代でオルガンを弾くことの意味は何か」という問い以上に「現代で西洋クラシック音楽を演奏することの意味は何か」という大きな問いへの、わたしたちなりの一つの答えである。

変化する時代の中で芸術が享受される可能性や面白みを考え、様々な人々との中間地点でつなぎ手となり、社会に対して芸術の新しい価値を提示することこそがアートマネジメントではないだろうか。企画する行程は日常の中に散りばめられたヒントから想像して、皆で一つ一つの想像をさらに膨らます作業の繰り返しであった。この企画に携わった多くのアーティストと共に対話し、社会を見渡すことで、音楽の新しい価値を聴衆と共有できる場(演奏会)を作り上げることができたと感じている。

 

フィナーレ:オルガンの作業灯を点け、オルガンの違った一面を演出

 

カーテンコール

 

主要企画メンバー(左より、本田・内田・阿部・山下・幅谷・陳)

 

文=陳穎琳・幅谷真理・山下直弥(国際芸術創造研究科 修士課程)

 


※演奏会のプログラム及び出演者の情報はこちら

https://ga.geidai.ac.jp/2018/02/08/sogakudo2018/

https://www.geidai.ac.jp/container/sogakudo/63816.html

 

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