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Special Concert Report

特別演奏会
「BACH CONCERT:MUSIC×TYPOGRAPHY
バッハ・コンサート:音楽×タイポグラフィ」
パート2

 
2016年11月23日開催
会場=東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部内第2ホール

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Comments of Planners
プランナーズ・コメンツ


安藤悠希

「いわゆるクラシック音楽の演奏会ではない演奏会を企画したい!」
新しい大学院での生活に胸を躍らせていた2016年4月、所属する箕口研究室のゼミで飛び出した言葉だ。なんとなく、ぼんやりと、全員の頭の中に「いわゆる」のイメージが浮かんだ。クラシック音楽の演奏会。少し気取ったホールに観客が集まってくる。舞台に向かって並んだ椅子に腰をかけ、パンフレットの小難しい曲目解説と冗長な演奏者プロフィールを解読していると、不意に明りが消える。正装した演奏者がスポットライトの中に進み、緊張感が場を包み込む。観客は微動だにしない。音楽が始まる。「主調のニ長調に対して半音上の変ホ長調で始まり、躍動的な第1主題、第2主題が続く……やがて、木々のざわめきが……高らかに謳歌する……」。頭の中で、さっき理解したはずの曲目解説を思い返す。読み返したいが、演奏中は音を立ててはいけないから、パンフレットを開くことはできない。演奏が終わる。拍手喝采。
クラシック音楽の演奏会では当たり前の、このようなある種のしきたりを、箕口ゼミの演奏会では壊してみたいと考えたのだ。だが、どのような切り口がよいのだろうか。手を替え品を替え、1か月あまりを議論に費やしていたとき、デザイン科の友人からメッセージが届いた。「音楽について教えてほしい」。
聞くと、彼らデザイン科の修士1年の学生は、タイポグラフィに焦点を当てた雑誌を課題で制作するのだという。今年のテーマは「音楽」。専門外のテーマに行き詰まって、音楽学部出身の私に頼ってきたのだ。渡りに船とはこのようなことを言うのだろうか。新たな切り口を求めていた私たちは、一緒に演奏会を企画しないかと彼らに提案した。

6月。ようやく演奏会の輪郭が見えてきた。「音楽を可視化する」。これがこの演奏会の根幹となった。耳でただ聞くだけでは理解しにくい音楽の構造的魅力を、タイポグラフィを用いた映像によって可視化し、観客に届ける。曲は誰もが知る音楽の父バッハを中心に据えた。バッハの曲には、じつはパズルのような面白さが溢れているのだ。さらに空間造りにも注力した。前方を定めず、ホール中央に置かれた観客席(マットを敷き詰め自由な床座スタイルとした)を囲うように演奏スペースを設け、3方の壁には巨大なスクリーンを設置した。観客は演奏のたびに違う方向から音をキャッチし、ぐるりと周囲に貼られたスクリーンはまるでプラネタリウムのように彼らを包み込む。

「音楽を可視化する」というテーマをもって挑んだ演奏会だったが、可視化の方法がタイポグラフィに限定されることは懸念事項のひとつでもあった。文字ではなく図解という方法を使えば、もう少しわかりやすいのではないかと、私たちは会議を通じて何度も検討したが、結果としてタイポグラフィと音楽は非常に親和性が高かった。というのも、私たちが音楽を読む際に使う楽譜も、ある意味では音楽を可視化する記号であり、その記号を今度は文字に置き換えるというステップを知らずして踏んでいたからだ。この移行が期せずしてうまくいったのだろう。
また、とくに構造的面白さに焦点を当てた「音楽の捧げ物」シリーズは、それぞれ2回ずつ演奏した。最初は何の映像もなしで、そして音楽構造を表す短いデモ演奏を挟んで、次に映像付きで。これによって、演奏とともにリアルタイムで観客に「種明かし」をすることになる。「曲目解説に載ってたアレ、どこのことだったんだろう……」という誰しもが経験したことがあるだろう焦りを、今回の演奏方法では少し取り除くことができたのではないだろうか。さらに、方法によっては堅苦しい「音楽理論レクチャーコンサート」になってしまいかねないところを、デザインの力によってスタイリッシュさを保ちながら、音楽の質を下げずに観客に届けることができたことは達成のひとつだろう。

「MUSIC×TYPOGRAPHY」コンサートとは何だったのか。演奏の方法や鑑賞の方法の工夫によって、脱「いわゆる」を目指した。そして、その過程で、デザイン科との対等な企画コラボレーションができたことが大きい。音楽か美術か、そのどちらかが舵をとるのではなく、どちらもがコンサートの「企画者」としての自覚を持ち、動いた。当日の観客層を見ても、ふだんクラシック音楽には触れることもなかった人が、タイポグラフィに惹かれて足を運び、またその逆も然りであった。一見接点のないように見えるバッハとタイポグラフィという要素を掛け合わせることで、多様なフックを投げることができたのだ。
無事に終了したように思いがちだが、デザイン科が雑誌『MOZ』の特集としてまとめるまでがこの企画である。ここからの主導はデザイン科になるが、発行が非常に楽しみである。


石橋鼓太郎

クラシック音楽には、「とっつきづらい」イメージがある。そのもっとも大きな要因のひとつとして、楽曲の構造の複雑さが挙げられるだろう。この曲は、フーガ形式で、この部分とこの部分が反行形になっている。この曲は、ソナタ形式で、ここから展開部が始まる。この曲は、12音技法で書かれていて、ここからここまでがひとつの音列としてまとまっている。これらは、ともすれば、高度に専門的な知識を備えたうえで、楽譜にかぶりつきながら聴かなければ把握できないものであるとされている。そして、このような構造的魅力がわからなければ、クラシック音楽を本当に「理解」したことにならない、と言う人も、一定数存在する。その一方で、いやいや、そんなに気張って聞かなくても、曲の中で1か所でも自分が好きな部分を見つけられれば、それでいいじゃないか、という人も多い。もしかすると、音楽のポータブル化が進み、いつでも・どこでも音楽と触れられるようになった現代社会においては、後者が圧倒的多数なのかもしれない。

ここで、少し立ち止まって考えてみる。クラシック音楽の構造的魅力を「理解」するためには、本当に専門的知識が必要不可欠なのだろうか。ほかの媒体の力を借りることで、その魅力を、気張らずに肌で感じることができるような仕掛けをつくることはできないのだろうか。このような問題意識のもと、本コンサートの企画はスタートした。

「BACH Concert: Music×Typography」は、上記のような問題意識を持っていた、クラシック音楽コンサートの制作を専攻している東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻の学生と、タイポグラフィ雑誌『MOZ』の制作を手がけ、今年度のテーマ「音楽とタイポグラフィ」に頭を悩ませていた同大学院美術研究科デザイン専攻の学生とのコラボレーションによって制作された。バッハの音楽にフォーカスを当てたのは、クラシック音楽の作曲家の中でも、もっともシンプルかつ複雑な形で魅力的な「構造」にこだわった作曲家であるからだ。さらに、今回のコンサートでは、バッハの音楽やその存在が後世の作曲家に与えた影響にもフォーカスを当てた。

映像制作の過程では、デザイン専攻の学生と対等な立場で綿密な打ち合わせを繰り返し、各楽曲のコアとなる構造を抽出した映像を作成した。そのうえで、楽曲ごとに演奏と映像をリアルタイムに同期させるためのシステムを考案した。また、当日の演出にも一工夫を施した。会場には、「前」と「後ろ」が決まっておらず、観客を中心として、3か所にスクリーン、3か所にステージが配置され、演奏者は曲ごとにその位置を移動する。そうすることにより、どの方向を向き、演奏者と映像のどちらに集中するかを観客に委ねる空間を生み出した。これらの多様な仕掛けによって、映像と演奏を対等な関係で提示し、観客がより体感的・能動的な形でクラシック音楽の構造を楽しむことができるようなコンサートの制作に成功した。

われわれの日常の中には、あらゆる「構造」が隠されている。そしてそれはたいてい、相応の知識を持った「専門家」によって構築されたものであり、「素人」であるわれわれはそれを半ば無意識のうちに漫然と享受している。クラシック音楽は、その最たるものである。作曲家は、音楽の構築美とでも言うべきものに半ば執着し、楽譜という道具立てを用いて複雑な楽曲群を作曲した。その構造を、いままでにない新たな形で能動的に体感し、面白がるということ。それは、われわれ「素人」が日常の中のあらゆる「構造」に目を向け、そこに新たな魅力を見出し、「専門家」との間にある境界の「あちら側」と「こちら側」を撹乱させるための、ひとつの手立てなのかもしれない。


古橋果林

「音楽の可視化」。音楽は、目で「見る」ものではなく、コンサートとは「聴き」にいくものだ。その音楽を「可視化する」、それこそが、この「BACH Concert: Music×Typography」のテーマだ。

このコンサートは、クラシック音楽に潜む構造的な面白さを、タイポグラフィを用いた映像をとおして解きほぐすことを試みたものだ。題材は誰もがその名を知る音楽の父、バッハ。彼の遺した作品の中から、パズルのような「あそび」が織り交ぜられた作品や、自身の名をメロディーに載せたもの、そして、彼への敬意をこめ、彼の名を数多く忍ばせた、後世の作曲家たちによる作品を選んだ。演奏時間は比較的短いコンサートだったが、ひとつひとつの曲に隠れたさまざまな「おもしろさ」を紐解くには濃密な時間となった。

プログラムに並ぶ、F.リスト、F.プーランクは、大作曲家バッハへの敬意をこめた作品をつくっている。それが、F.リスト《バッハの名による幻想曲とフーガ》、F.プーランク《バッハの名による即興ワルツ》だ。タイトルからも想像できるように、曲のいたるところに”BACH”の名が隠されている。”BACH”の文字ひとつひとつを線でつないだ形が、まるで星座のようであることに着想を得て、音楽の中に隠れた”BACH”が出現するたびに、「B-A-C-H」の文字がスクリーン上にも散りばめられていく。曲が終わる頃には無数の「B-A-C-H」が、スクリーン全体に広がり、まるで夜空のような幻想的な世界を映し出し、曲の前衛的な深い響きを表しているかのようだった。

映像を制作するうえで、とくに注意しなければならなかったのは、音楽は「ライヴ」で演奏される、ということだ。すでに録音されたものに合わせて映像を流すのではなく、その日その時間に実際に演奏者が演奏を行う、その音楽に合わせた映像が求められる。そのためには、演奏とともに映像を操作するVJが欠かせない。VJは、単なる映像操作にとどまらず、まるで楽器を演奏するかのように、演奏者と息を合わせながら映像を操作しなければならない。一見、音を奏でる人のみが「音楽している」ように見えるが、このVJも大いに「音楽する」役割を持っているのだ。

そして、コンサートでもうひとつこだわりを持ってつくったのが、会場の空間だ。ここまで述べたとおり、このコンサートでは、観客は、いわゆるコンサート体験では行われない「見る」という行為をとおして「聴く」ことを楽しむ。そのためにも、コンサート空間にも一工夫が必要であった。一般的なコンサートホールは、たとえばプロセニアム形式のように、舞台と客席がはっきりと分けられ、観客の視点も一方向に決められている。しかし、このコンサート空間には「前」がない。観客は3方向をスクリーンに囲まれ、椅子もなく自由に体の向きを変えることができる。また、演奏者の演奏位置もその都度変わり、3面のうちのどのスクリーンを見るのか、演奏者を見るのか、その選択は観客に委ねられているのだ。

伝統的なクラシック音楽を扱ううえで、従来の演奏スタイルや、従来の空間から脱却するには、ちょっとしたアクションが必要となる。「バッハ・コンサート」では、「音楽の可視化」と「空間」への試みによって、一般的な「クラシック音楽の演奏会」とは一味違うものをつくりあげ、訪れた人々に新しい印象を与えた。「新しい」試みは、それがいままでなかった「新しいもの」であるというだけで、評価されることはしばしばである。しかし、重要なのは、このコンサートは他とは違う「新しいもの」であったということではなく、バッハの音楽をタイポグラフィを用いて表現するという目的のもと繰り広げた試行錯誤のうえに、あの映像やあの空間が生まれたということだ。

クラシック音楽のコンサートには、まだまださまざまな可能性が秘められている。ただ「新しい」コンサートを追い求めるのではなく、コンサートの曲目やテーマにあった、表現方法や空間づくりをこれからも模索していきたい。


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Comments of Audiences
オーディエンス・コメンツ


●あまり馴染みのない音楽ですが、タイポと組み合わせることで、特定のキーフレーズが浮かび上がり、とくに最期の最期を思わせる演奏・演出が際立ち、たいへん興味深かったです。
●映像を見ながら聴くことで、視覚的にバッハの音の形を感じることができておもしろかった。会場の暗さ、広さ(空間)が自由に音に集中できるようにさせてくれた気がします。こうやって聴くと、私はいままでぼんやりとしかわからなかったバッハの音楽も、今後はもっといろんな方面から理解できるような気がしたので、次回以降もこのようなコンサートがあればぜひ聴きたいです。
●このような「音楽×美術」の企画がもっと増えることを期待します。
●バッハの曲はぜんぜん知りませんでしたが、視覚的にわかりやすく構造化されて少し身近に感じました。
●始めは文字列が何を表しているのかわからなかったのですが、演奏と合わせて見ることで、まるで音が生き物のように見えてきて、跳ねたり、伸びたり、転がったりする様子を目で感じることができました。
●座席に体を固定されずに自由に楽しめる環境がよかったです。
●タイポグラフィと一緒に聴くことで、音楽を専門的に学んでいない私でも、音符の動きが見えたり、込められている意味が少しわかったような気がして、面白かったです。
●スクリーンに流れ出す文字が星座のようで美しく、また化学式のような理性を携えながらも詩情をもって浮かび上がっていたのが印象的です。タイポグラフィが痕跡のようであり、あるいは消えゆく歴史のようにも見えました。

文=安藤悠希、石橋鼓太郎、古橋果林[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻修士1年在籍]
写真=永井文仁

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