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「都市の臓器とAI」研究会:
第2回「ヴェニスについてできたこと、できなかったことについて」(報告者:青木淳、藤倉麻子)

 

研究会のご案内
日時:2025年9月11日(木)18:30–20:30
会場:東京藝術大学 美術学部大石膏室
※対面参加は定員40名(要申込)/※アーカイブ配信あり(要申込)
報告者:青木淳(建築家・2025年ヴェニス・ビエンナーレ日本館キュレーター)、藤倉麻子(アーティスト)

「都市の臓器とAI」研究会(全6回)
本研究会は、2025年7月から12月にかけて全6回にわたり開催いたします。
第2回では、2025年ヴェニスビエンナーレにて展覧会「中立点」を開催中のお二人をお招きして展覧会でも大きなテーマとして扱っていたAIについてご報告いただきます。

 

第2回 「ヴェニスについてできたこと、できなかったことについて」
概要
幾何級数的なデジタル技術の進化のなか、ごく近い将来、生成AIが私たちの社会、環境、あるいは私たちの内面をも、まったく異なる様相に変えてしまうのではないかという不安が、現在、全世界を覆っています。とくに日本は、SNSなどデジタル技術の普及のなかで、ポリティカルにコレクトで、ただミスや欠点がない、最大公約数的で凡庸な社会に向かって突き進んでいるように思われます。
たしかに生成AIから返ってくるのは、既存データの総合から導き出されたもっとも間違えの少ない回答で、私たちはついついそれを「正解」と捉えがちです。しかし、その先に待っているのは、人間が生成AIに従う、生成AIが人間に代わって主体となる社会でしょう。
しかし、日本には、「間」という観念の歴史があります。「間」とは、古来、日常的な意味での「あいだ」である以上に、2つの事物の応答(対話)が孕むテンションであり、そのテンションのふるまいがひとつの虚なる主体として潜在するという観念でした。この伝統に倣うなら、主体を人間に置くのでも、生成AIに置くのでもなく、そのあいだの虚なる「中立点」つまり「対話」に主体を措定することに賭けてみる価値があると考えられますし、ここで提案するのもまさにその試みの実践です。人間も間違えるし、生成AIも間違える。その間違えと間違えとのやりとりのなかから、それらどちらにも属さない創造的な「つくること」が生まれるのではないか。まだ生成AIが揺籃期にあるうちに、生成AIとの生産的な付き合い方を確立し、それを今後の生成AIの進化の方向付けに役立てられないか、というのが狙いです。
今回は、「日本館」そのものをその試みの対象とします。生成AIを「日本館」を構成する複数の部位に憑依させ、それら生成AIとのギクシャクした対話のなかから、「日本館」をフィクショナルに、またアクチュアルに「改装」することを通して、人間と生成AIの「中立点」という主体を浮かび上がらせようとするものです。

 

参加申込フォーム:https://forms.gle/oFktUMBJq7JH6X2M9

※対面参加は先着40名(定員に達し次第締切)
※アーカイブ配信あり。対面参加の有無にかかわらず、どなたでもご視聴いただけます。ご希望の方は、上記「参加申し込みフォーム」よりお申し込みください。申込受付は 9月10日 12:00 までとなります。

お問い合わせ:東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教員室(リサーチ領域)
ga-research@ml.geidai.ac.jp

 

主催:「都市の臓器とAI」研究会
東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科 清水知子研究室・毛利嘉孝研究室
共催:大丸有SDGs ACT 5実行委員会

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