In Depth

Special Discussion Report
川出絵里

エリイ(Chim↑Pom)×スプツニ子!
×長谷川祐子

『破壊しに、と彼女たちは言う
──柔らかに境界を横断する女性アーティストたち』

刊行記念トークイベント「女性×アート」レポート+本書紹介文

 

2017年5月20日開催
会場=青山ブックセンター本店

トークイベント・レポート

国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻の長谷川祐子教授は、2017年春、著書『破壊しに、と彼女たちは言う──柔らかに境界を横断する女性アーティストたち』(東京藝術大学出版会)を刊行しました。本書は長谷川教授が1989年から現在までに著した論考を収録したもので、川久保玲、草間彌生、田中敦子、オノ・ヨーコ、妹島和世、ピピロッティ・リスト、サラ・ジー、レベッカ・ホルン、マルレーネ・デュマスなど40数名におよぶ女性アーティストとクリエイターについて論じた、長谷川教授の本格的な批評を集めた初の著書です。

本書の刊行を記念し、青山ブックセンター本店にてトークイベント「女性×アート」が開催されました。このトークには、都市問題、原発事故、ボーダーなど、時代の「リアリティ」に反応し、現代社会に介入した社会的メッセージ性の強い作品を発表するアーティスト集団「Chim↑Pom」のメンバーであるエリイさんと、女性の生理を疑似体験させる作品など、テクノロジーによって変化していく人間のありかたや社会状況を反映させた作品を制作しているスプツニ子!さんのふたりをスペシャル・ゲストに迎え、本書について、また女性とアートをめぐって、セッションが交わされました。

ここにそのトークの模様を収めた動画と、レポート記事を公開します。

『破壊しに、と彼女たちは言う──柔らかに境界を横断する女性アーティストたち』刊行記念トークイベント
> Click on the image to play the movie.

冒頭で、セッションに先立って長谷川教授からイントロダクションがありました。
長谷川教授は、女性作家だけを集めた展覧会などは行ったことがなく、とくに「女性だから」という事象には必然性を感じないと述べました。ただ、これまで約1000組の作家たちと仕事をしてきた経験から、女性作家と男性作家の違いには2点あると説明しました。
まず、男性作家はツァイトガイスト(時代精神)があり、歴史の中で自分がなすべきことを強く意識しているのに対し、女性作家はそこまで意識せず、むしろ、たまたま女性の身体に生まれてきたという事実を受け止め、どう反応していくかにひじょうに正直であるという、生に対するホメオスタシス(恒常性)があるため、その表現は文脈を飛び越えてグローバルなメッセージをまとうようなストレートさが強いこと。もう一点は、知性と身体感覚のバランスがよく、身のまわりの事象や、歴史における先達がなしてきたことに関心を持ち、周辺の記憶や知識、生起する出来事に対して自分の身体に何ができるかと考えることを通じて、生に対するリアリティを獲得していること。そしてこの2点は、本書で言及した女性作家たちの共通点でもあると述べました。

続いて、長谷川教授から日本の女性作家についてのプレゼンテーションが行われました。
まず川久保玲は、コム デ ギャルソンの代名詞とも言える「ぼろルック」や「こぶドレス」などによって西洋的な身体と服飾の文脈を脱構築し、着る人の内面の強さを浮き立たせる、独自の美を追求したことを指摘。
またオノ・ヨーコはパフォーマンス《カット・ピース》や映像作品《フライ》などによって、女性がエロティシズムやバイオレンスの対象になっていることを告発したが、とくに「闘争ではなく、委ねることで状況を静かに浮かび上がらせた」ことがポイントだと述べました。
草間彌生は、自身のオブセッション(強迫観念)や男性に対する恐怖を克服するために、あえて自分にとって恐ろしいもので世界を埋めるという表現を追求。世界と接続して生きなければならないという自身のリアリティから、呪術とも呼べる、人の精神の深みとつながる表現のオリジナリティが生まれたと論じました。
妹島和世は、《再春館製薬女子寮》や妹島和世+西沢立衛/SANAAによる《金沢21世紀美術館》などをとおして、パブリックとプライベートの空間を柔らかくつないだと説明。「誰かの声がしても、自分の邪魔をせず、自分と同じように時間を共有している」という居心地のよさが、人々から圧倒的に愛されている理由であると語りました。
長谷川教授は、これらの表現の共通項として「『女性だから』ということではなく、表現の強さとクリエイティヴィティによって従来のスタンダードを超えた世界を提示していること」を挙げ、評価しました。

さらに田中敦子、森万理子、内藤礼などのプレゼンテーションが続いたのち、Chim↑Pomとスプツニ子!さんの紹介では、それぞれの作家本人から作品の説明がありました。
まずエリイさんは、カンボジアの地雷撤去とチャリティ・オークションなどからなる《サンキュー・セレブ・プロジェクト・アイムボカン》と、カラスの剝製を用いて野生のカラスを誘引する《BLACK OF DEATH》を解説。発言を受け長谷川教授は、作品は現地のリアリティや意見が通ったものであり、ジャーナリスティックなハイ・パフォーマティヴィティを持つアートの手法を用いながら、世界の諸問題へのアウェアネス(意識)を人々に与え、なおかつ表現の際どさをうまくステアリングしていると評価しました。
次にスプツニ子!さんは、男性が女性の生理を疑似体験できる《生理マシーン、タカシの場合》や、月面にハイヒールの足跡を残す《ムーンウォーク、セレナの一歩》を解説。前者は女性の身体、後者は男性中心の歴史観への批判的な問題提起が制作の発端だったこと、またSNSを通じて制作スタッフを集めるというDIY的な制作経緯を語りました。長谷川教授は、実際に使うことのできるプロダクトをとおして、背後にあるストーリーやもうひとつの未来の可能性を提示している点、およびSNSなどクラウドを通じたハイ・パフォーマンスがユニークであると評しました。

以降は、長谷川教授によるシンディ・シャーマンやピピロッティ・リスト、シリン・ネシャットら海外の女性作家を紹介するプレゼンテーションを挟み、登壇者によるセッションとなりました。
まずエリイさんは、福島第一原子力発電所の事故による帰宅困難地域で行われている「Don’t Follow the Wind」展が、2010年に経済破綻したギリシャのアテネのホテルでも先日開催され、その会場の下見の際に、テーブルの上に朝食が置かれたまま廃墟になっていたホテルの様子を目にしたエピソードを紹介し、経済格差やストライキは確かに存在するが、国政と市民の営みは「本で読むのとは違う」と感じ、そうした側面を提示することがアートの役割ではないかと語りました。
またスプツニ子!さんからエリイさんへ、アート界で「女性」というトピックを意識したことがあるかという質問がなされると、エリイさんは、「Chim↑Pomの残りの5人のメンバーは男性で、男性と女性のコントラバーションと組み合わせが自分の態度であり、唯一の答えだと思う」と回答しました。スプツニ子!さんは返答を受けて、自身が所属するマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの研究室は女性ばかりだが、周囲の男性からは研究が評価されないというエピソードを紹介し、「女性であることはエネルギーにもなるが、孤独を感じることが多い」と語りました。長谷川教授も「どの国際会議に行っても日本人の女性はひとりもいない」と孤独を感じていることを述べながら、Chim↑Pomにおけるエリイさんは、複数の男性の中心にひとりの女性がいること自体がハイ・パフォーマンスかつステートメントであり、有効に機能していると指摘しました。

最後に、本書で言及されていない好きな女性作家として、エリイさんはルイーズ・ブルジョワを、スプツニ子!さんはお笑いタレントのブルゾンちえみを挙げ、イベントは和やかな雰囲気で幕を閉じました。

文=岡澤浩太郎[編集者]

担当編集者による本書紹介文

長谷川祐子著『破壊しに、と彼女たちは言う
──柔らかに境界を横断する女性アーティストたち』
東京藝術大学出版会、2017年刊

本書は、国際的に活躍する日本屈指の現代美術キュレーター、美術批評家であり、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授の長谷川祐子氏による初の評論集である。1980年代末より現在まで、氏が書きためてきた女性アーティスト、クリエイターについての論考12稿を全面的に加筆・改稿し、序文と「あとがきに代えて」を加えた一冊となっている。川久保玲、妹島和世、草間彌生、田中敦子、オノ・ヨーコ、バーバラ・クルーガー、シンディ・シャーマン、シェリー・レヴィン、シリン・ネシャット、レベッカ・ホルン、マルレーネ・デュマス、ピピロッティ・リスト、サラ・ジーをはじめ、40数名の作家による作品についての分析と解釈が展開される。
本書の表題『破壊しに、と彼女たちは言う』は、フランスの小説家で映画監督のマルグリット・デュラスが1969年に刊行した戯曲形式に近い小説『破壊しに、と彼女は言う』へのオマージュとして付けられた。ホテルを舞台に4人の男女を中心に繰り広げられるその物語は、登場人物たちの台詞と簡潔な状況の叙述で構成されている。それは、デュラス自身が「10とおりの読み方のできるテキスト」と述べたように、複数の主体がそれぞれに物語を語り、多様な解釈が可能な「開かれたテキスト」となっている。この輻輳するストーリーが可能にするひとつの「共生」のあり方、そして、女性アーティストたちの多くが本来的に持っている、一種、「内側からの破壊」とも呼びうる、自由奔放な創造性のありよう──一元的な単一の「大きな物語」としての歴史とそのイデオロギーに縛られることなく、自身の直観と五感や身体感覚を駆使して自在に発露される「解放されたクリエイティヴィティ」の諸相──への信頼溢れる著者自身の「共鳴」から、本書に収録されたテキストを象徴・代弁するものとしてこの表題が名付けられたことが、随所から感じ取られる。
長谷川の紹介するアーティストたちは、それぞれの仕事がじつにオリジナルで特異な魅力に満ちている。カラフルなペイントを施した電球をつなぎあわせて制作された「着る大作」《作品(電気服)》でのパフォーマンスや、見えない音やエネルギーの偶発的なネットワークを描いたインスタレーションや絵画、ドローイングなどで、近年、世界的に再評価の高まる田中敦子、「すでに見たものでなく、すでに繰り返されたことでなく、新しく発見すること」を目指すと語り、「着る者によって記述される別のテキスト」となる衣服を生み出してきた川久保玲を筆頭に、女たちの多種多様な「破壊と創造」をめぐって、著者の思索が織り重ねられている。
とりわけ出色なのは、妹島和世+西澤立衛/SANAAとふたりの個人名義のプロジェクトの変遷を辿って再解釈を試みた最終稿である。彼らの持つ「建築のプログラム」を書き換え、その建築が獲得しようと目指す特異性とアンビエンス、フレキシビリティを具現化する力には、まさに目を見張るものがあることが、頁を繰るにつれ明らかにされていく。たとえば、ローザンヌの大学のために、図書を閲覧するコーナーやセルフ・スタディのためのコーナー、コンサートやシンポジウムを催すためのスペースなどが、間仕切りのない、ひとつの巨大なワンルーム空間の中に納められた大作《ROLEX ラーニングセンター》。そこでは、不特定多数の建築のユーザーたちがひとつの大空間の中で「共生」しつつも、各々が自由に各自の営みを行うこともできる。また、驚くべきことにこの建築は、大きく起伏する床と天井を持ち、空間の中を歩いていく行為が、あたかも自然の丘隆を散策するかのように、一瞬ごとに多様で自由な空間体験の可能性が享受される。いつの間にか既存の芸術概念をパフォーマティヴに越境するこのしなやかさ、軽やかさこそが、著者が長いキャリアを通じて女性たちの活動の中に憧憬してきた最大の魅力でもあると言えるだろう。

文=川出絵里[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教]