In Depth

Special Lecture
特別講演会

ローレンス・グロスバーグ
「ロスト・イン・ア・ロスト・ワールド:
存在論的確実性の危うさについて」

東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科主催パブリック・レクチャー

(助成=文化庁 「平成28年度 文化庁 大学を活用した文化芸術推進事業:グローバル時代のアートプロジェクトを担うマネジメント人材育成事業:& Geidai グローバル時代のアートプロジェクト 国際理論編プログラム」)

2016年7月1日開催
会場=東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部内5-109教室

私たち、国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻は、今夏、特別招聘教授として、アメリカ、ノース・カロライナ大学のローレンス・グロスバーグ教授をお招きする予定でした。残念ながら、来日の直前に、健康上の理由から、氏の日本への訪問は中止となりましたが、代わりに、教授から45分間ほどのビデオ・レクチャーが届き、一般公開の会場で上映会が行われました。ここにその講義の動画とトランスクリプション日本語訳を公開します。

以下、全文。

Special Lecture: Lawrence Grossberg
> Click on the image to play the movie.

こんにちは。
私の自宅のオフィスへようこそ。
まず、はじめに、私を東京へ招待しようと懸命に尽力くださった[国際芸術創造研究科教授の]毛利[嘉孝]さんに感謝申し上げます。それから、発音が違っていたら失礼、[同研究科助教の]川出絵里さん、そして私の院生の西村恵子さんにも、私の代わりにいろいろと骨を折り手伝ってくれたことに感謝します。あなた方と、今日、ご一緒できないことを、心から申しわけなく思っていますが、私にはそれ以外の選択肢は残されていなかったため、仕方ありません。ですので、このビデオ・レクチャーがうまくいくことを願っています。私はよくひとりごとを言いますが、聴衆に話しかけているようにひとりごとを言うことはあまりありません。みなさんの顔や反応が見えませんので、もしうまくいかないことが時折あっても、どうかお許しください。それでは始めます。

私は、今日、あなた方に、ひとつの物語をお話したいのです。どんな物語も、私たちがいまどこにいるか、どうやってここに辿り着いたのか、そして、期待をこめて言えば、これからよりよい場所にどうやって向かっていくのかを目に見えるものとするべく、過去と現在を構築するものであり、私がこれからお話する物語もそうした物語です。それは、ハンナ・アーレントならば、「21世紀の暗黒期」と呼んだかもしれないような事柄についての物語です。
そして確実に世界は、少なくとも私が見て感じられる部分の世界に関して言えば、急速に悪化しているように感じられます。
ここで、いまが最悪の時代だという感情に流されるのはいとも簡単なことですが、ひょっとしたら、より複雑に考えたとすれば、いまが同時に、ある部分では、どこか最高の時代である、と考えることも可能でしょう。
けれども、私たちはいつも、次のことを思い出さなければなりません。私たちが問題の多い時間と場所に独特なありようで生きている唯一の世代ではないことを。私たちはまた、私たちを取り囲んでいる[抗うことが]不可能と思えるほどの力に対して不可能な挑戦をしているように感じる唯一の世代ではないのです。

ともあれ、物語はどこかの地点で幕を開けなければなりません。私の物語は、17、18世紀のいわゆるヨーロッパの啓蒙主義から始まります。この啓蒙主義は、思考、感情、生活、社会化など、さまざまな様式として現れ、少なくとも西洋において、鍵となるひとつの中心点として、私たちが「ヨーロッパ的近代」と呼ぶものの始まりと基礎を築いたのです。私はこの「ヨーロッパ的近代」を複数形「ユーロ・モダニティーズ」で呼びたいと思います。
そしてその啓蒙主義の矛盾が、数世紀にわたって規定してきた長い複数の歴史があります。その歴史とは、一方で、よりよい民主主義、より素晴らしいリテラシー、さらなる経済的成功や社会正義などに向かう、レイモンド・ウィリアムズが「長い革命」と呼んだ考えと、他方では、ヴァルター・ベンヤミンの、「野蛮の記録がないような文明の記録は存在しない(文明とはすべて野蛮の記録である)」という理解の間に示されているように、矛盾だらけのものです。

たとえば、理性主義、人文主義、人類中心主義、主観主義、個人主義、自由と行為主体性(エージェンシー)への信仰など一連の哲学的な約束事の中の定義と関係の複雑な組み合わせとしての「啓蒙主義」、またそれに沿って二元論、超越性、否定、普遍主義を含んだ一連の複雑な哲学的な論理、そして最後に、一般的に言って、リベラリズム、民主主義、資本主義、私的財産という概念、国民国家などといった用語のもとに捉えられる政治的変容と規範について、少し述べさせてください。
しばしば不可視的で、また、19世紀のほとんどの西洋的言説において、こうした啓蒙主義の筆舌に尽くしがたい結末には、植民地主義、帝国主義、人種差別主義、ジェンダーや性に関する規制、圧倒的貧困、そして、こうしたさまざまな組織や権力の表現に加担する正当化された暴力が含まれていました。これらは、ヴァルター・ベンヤミンが「野蛮」という言葉で意味したものであったかもしれません。
ここでの問いは、啓蒙主義が自らの持つ闇と対峙し折り合いをつける方策を提供できたか否か、また、こうした啓蒙的思考の根底にある矛盾が、どのように、その政治的、社会的限界、偽善と失敗を定義づけてきたのか、という問いです。つまり、アフリカ系アメリカ人で素晴らしい詩人のオードレ[オードリー]・ロードが20世紀半ばに残した言葉のように、「主人の道具を使って、主人の家を壊すことはできるのだろうか?」という問いです。

19世紀には、カール・マルクスなどの西洋の理論家が、啓蒙哲学に批判概念を導入することによって、こうした問題に挑みました。ダーウィンやフロイトなどもその先例として挙げる方もいるかもしれません。マルクス的な意味における批判とは、論理的真実や誤謬、仮象と現実という観点から読まれるのではなく、社会的言説の中の現実は、必然的に誤って表象されるもの(misrepresentation)として理解されるべきだというものです。必然的に、と言うのは、事実、言説的な記述とは、つねに部分的であり、全体性の複雑さに対しては不十分だからです。問題は、つまり、たとえば、分配と交換の形態としての市場の記述のように、部分的説明が全体性の記述へとすり替わってしまうことであり、そうした部分性が特定の文脈の形式において、自らを自然化しなければならないために、誤った表象が行われてしまうことです。つまり、与えられたものを最終的な結果として受け取らなければならなくなるのです。たとえば、マルクスの批判によれば、アダム・スミスら古典政治経済学者たちの議論においては、与えられたものとは市場であり、その市場が経済的生活という範疇に留まらない、普遍的な全体性と化してしまっているのです。

けれども、「長い革命」と「野蛮」の間にある啓蒙主義の根幹における矛盾は、とりわけ20世紀をとおして、激しく活発な動力になっていき、矛盾はますます避けがたいものとなっているのです。

さまざまな批評家、歴史家、アナリストたちは、この事態がいつ始まったのかについて議論してきました。ある人は、第一次世界大戦とそこで導入された空爆による、大量殺人の合理化の進展に始まったと言います。またある人は、1917年の共産主義革命に、ある人は1929年の世界恐慌に、またある人は第二次世界大戦と、そののちに発見されることになる、ユダヤ人だけでなくその他の人々に対しても、東西を問わずに起こった、ホロコーストや大量殺戮に始まりを見出します。また、もちろん原子爆弾の配備も、ここに含まれています。

しかし「意志におけるオプティミズム」をもって言えば、20世紀前半に起こった反植民地主義運動や、反人種差別運動、反戦運動、フェミニズム運動の発展など、既存の啓蒙主義の構造と「ヨーロッパ的近代」の力に挑むその他の挑戦のかたちも、このときに生まれました。これらの努力は、フランクフルト学派やプラグマティズムといった、啓蒙主義を通じて考え抜き、それを超克する思想をかたちづくっていったと考えることができます。このふたつは、私が考えるに、啓蒙主義と「ヨーロッパ的近代」の思考に存在していた理性の考えに、痛烈な批判を与えました。それはまた、20世紀半ばの精神分析や実存主義の広がりにおいても見られますし、マルティン・ハイデッガーの初期の著作と、その人間中心主義、表象、認識論に対する批判や、哲学と批判的思考の領域の外側に存在論を投捨することへの彼の拒絶の中にも見られます。

けれども、ほんとうに事態が興味深くなるのは、第二次世界大戦以降でしょう。ある人は、少なくとも私は、「歴史的あるいは新時代的存在論」と呼びうるような、反普遍主義者としての後期ハイデッガーの尽力に起点を見出します。この哲学は、のちに、デリダの脱構築の思想の展開に影響と基盤を与えた哲学であり、また、失敗へと運命づけられた哲学であり、このあとお話ししていくことになりますが、フーコーの歴史の系譜学にも影響を与え、その礎となった哲学です。

しかしながら、私が今日お話ししたいことの目的に沿って言えば、第二次世界大戦以降に発展した啓蒙主義に対するラディカルな批判、つまり、戦後復興され、あるいは構築され始めたと言うべきかもしれませんが、どういったわけか周縁に追いやられてきた、スピノザ、ニーチェ、ベルクソンなどの人物を含む、新たなる「マイナーな」西洋、ヨーロッパの哲学の歴史についてお話ししていきたいと思います。
この試みにおける20世紀のもっとも有名な思想家は、フランス人哲学者のジル・ドゥルーズです。彼は、彼が「存在論」と呼ぶものへの回帰について論じています。ここで、この啓蒙主義に対する存在論への回帰について、私は3つの側面に言及していきたいと思います。

第一に、その回帰には、啓蒙主義に対するある特定の観点があります。啓蒙主義を構成するそれぞれの要素、それぞれの哲学的関与(コミットメント)、それぞれの論理の形態、そしてそれぞれの政治的編成とは、必要不可欠なものであり、おのおのが、不変の保証された内容を持つよう想定されています。
合理主義が、自由、主観主義や個人主義への関与などを必然的に伴うように、多様な要素は固定されたかたちで、また、同等でないとしても、ある種の論理的含意(帰結)の関係として、当然のごとく関連づけられていると想定されます。このように、啓蒙主義は、単一で、固定的な不変の出来事として想定され、それが西洋を数世紀にわたって定義づけてきました。それこそが、実際のところ、頻繁に言及される言葉、引用としての「西洋的伝統」なのです。そして、そのような観点を持っていたために、この啓蒙主義という単一の全体性につながる鍵を見つける必要性に気づいたわけです。

そして、[この物事の見方は、]カント哲学に、その鍵を見出したのです。イマヌエル・カント、18世紀末から19世紀初頭にかけて活動したこの偉大な哲学者は、さまざまに異なる読み方で読まれてきました。もっとも一般的に言えば、彼の哲学は、経験主義と理性主義を和解させたと捉えられ、そして、カントはこれを「コペルニクス的転回」と呼ぶのですが、人類は自身がつくりあげてきた世界についてのみ、経験し理解することができると論じています。

結果として、これに続いたのは、まずひとつに、カント哲学における、人間が組み立て経験し知りうる世界としての「現象(フェノメナ)」と、人間経験の外側にある、それそのもの、現実自体としての「物自体(ヌーメナ)」という、ふたつの区別です。けれども、カントは明らかに、物自体、存在論、形而上学を、科学と哲学の領域から追い出し、また、ある意味で、認識論、知識と現象学への問い、経験への問いが、哲学において唯一の知の源である、と論じたのです。

第二に、カントのコペルニクス的転回の帰結として、彼自身の理解によれば、人間性(ヒューマニティー)を、一方では、ヨーロッパの白人「中流」階級の教育を受けた男性のモデルとして、他方では、普遍的で超越的な主体として想定することになります。人間を、現象世界のエンジニアや建築家のように、定義づけているわけです。

現象と物自体というこの二項対立、人間世界と自律した世界それ自体との二元論は、カント哲学とそれに続く思想家たち[の仕事]によって、再生産されてきました。そして、経験世界の内には、文化、つまり人間世界と、自然、人間性の外にある世界を分かつ二元論が存在します。しかし、[いまや問題は]人間性の内部にある「自然」にあるのです。ここで「自然」は、つねに、あらかじめ、人間によって構築されているのです。よってここには、一種の二重の二元論が存在しています。

どのような問題を抱えていようとも、この哲学は、[詳細は]後述しますが、西洋哲学の歴史において、大きな革命的転換点ともなりました。なぜなら、この哲学によって、カントは、関係性という概念を導入したとも論じうるからです。カントは、世界はつねに関係性によって構成されているという考えを、提起しました。とりわけ、カントは、媒介としての関係のひとつの理論を提供しました。完全な超越的主体──ヨーロッパの主体の多くがそうであるかのように、いまだに認識されていますが──その主体の構築が、人間の経験の世界を形成するべく、現実それ自体を媒介すると論じました。

しかし、カントは、もうひとつ、別の古典的な二項対立である、決定論と自由論との二項対立を調停させようとしていたことに着目することも重要です。現代の用語で言えば、(決定論としての)構造と(自由としての)行為主体(エージェンシー)の関係に対する疑問を投げかけたのです。

カントにとっては、構造的決定論は理性ある主体の帰結であり、そこでは、人間をとりまく構造を構築するのは人間であるため、決定論とは、自己決定論です。しかし他方で、構造を決定する行為主体は、理性よりもむしろ意志を持つ主体の帰結であるように思える。これが第二の批判です。ここでは、主体は、法によって、自由で活動的な自己として規定されています。つまり、主体は、それ自身の法を定める存在であり、ゆえに主体は自由であるのです。ちなみに、カントは、彼の哲学全体にとって問題となった第三項、想像力を付け加えることなしには、結局のところ、ふたつの対立項を和解させることには実際に成功しなかった、と付け加えておきましょう。

ここで、次のことが言えると思います。とりわけ第二次世界大戦以後のフランス哲学とイタリア哲学における存在論への転回は、カント哲学の第一の二項対立である現象と物自体との二項対立を、もっぱらカント哲学における第二の二項対立、つまり、構造と行為主体、決定論と自由論の関係性と差異を再考することによって、拒絶してきた、と。

また、この存在論への転回には、第二の側面があります。この点でも再び、カントから始めることが可能です。カントの読み方には、もうひとつ別の読み方があります。ニュートン物理学が正しいとすれば、現実とはどのようであるはずかと、カントが問いかけていたのではないか、という読み方です。19世紀後半以降、物理学は、ニュートン力学が示すような世界、つまり、固定的で、かつ、法則のような計算に従って予測可能な宇宙には、私たちは住んでいないということを、言いつづけてきたわけですが、[カントの時代の論題提起としては]問題なかったわけです。

物質とエネルギーの関係、したがって、物質世界の性質を再定義することになる、熱力学の法則の発見に始まり、科学は、いよいよ、宇宙は固定的な構造物ではなく、世界が自身の構造を失っていくようなエントロピー的混沌である、と見るようになっていきました。19世紀後半から20世紀初期において、相対性理論と量子力学の発見が続き、さらに20世紀が進むに連れ、サイバネティックスや情報理論が現れる。これがいまの時代に私たちが生きている世界であり、それはニュートンが想定した宇宙とは、ひじょうに異なったものです。これらの新しい物理学が正しいのならば、哲学的に言って、宇宙はどのようなものであるのかを、私たちの同時代の存在論主義者たちは問い直そうと試みてきたと言えるでしょう。ついでに言及すると、私たちが現在住んでいると想定している推定論的で確率論的な宇宙が、どんなに奇妙であろうとも、かつてニュートン[の理論]が間違いであったと証明されてきたように、[いつの日か]誤ったものと証明されたとしたら、これらの新しい存在論には何が起こるのか、問うてみるのもよいかもしれません。

ともあれ、[昨今]出現してきたのは、一連の哲学的な存在論であり、そこでもっとも影響力を持ったのは、さきほど述べたように、ドゥルーズの存在論です。ドゥルーズは宇宙(人間の活動の場としての世界)を、エネルギーや力の量子や、彼が呼ぶところの「生成変化の連なり」、強度によって構成されるものだと捉えています。そしてこの量子は、[ドゥルーズ哲学において]お互いの差異によってでも、否定によってでもなく、それぞれが持つエネルギーの可能性、他の量子に変化を起こし、その量子もまた別の量子の力によって、互いに作用し合うものとして、肯定的に定義されているのです。つまり、言うなれば、宇宙は、変化を生産しうる力としてしか存在しない要素によって規定されている、とも言えるのです。そしてこのように、変化、あるいはドゥルーズの呼ぶところの「生成変化」は、構造や安定性よりも、より根源的です。これが、彼が、事物が他のすべての事物よりも偉大で卓越している超越者──神であれ法則であれ、超越的主体であれ、なんにせよ──に反対する概念として、「複数性の一元論」、もしくは、内在性の哲学として言い表すものです。内在的であるということは、ドゥルーズ哲学においては、すべてが究極的には同一の様式で存在している、つまり、変化の量、あるいは生成変化、力、変化の連鎖として存在していることなのです。

このような世界、つまり可能な──より正確に言えば、潜在的(ヴァーチャル)な──情動と変化の世界は、関係の生産によって、アクチュアルなものとなります。この関係の生産は、ある特定の因子、もしくは、生成変化のある特定の流れを構成することによって、特定の量子の特定の力を活性化させ、現実化し、あるいは可能たらしめたりするものです。これは、量子物理学の用語を用いて、ほとんど字義的なメタファーとして、考えることができます。異なる量子が出会うとき、それらは、異なる量子粒子の間で、別々の情動と別々の関係を持っており、そして、より大きな全体性と情動を生む、といったように。

そして、特定の変化に向かう可能性を作動させることで特定の情動を生む、こうした関係の中にあって、特定の情動は、より複雑で、より大きな組織や構造を生み出し始めます。それが、特定の現実、特定の世界を規定することになるのです。これがドゥルーズの描く世界です。この世界においては、行為主体、現実を生み出し変化させる力は、とくに人間に属しているわけではなく、カントや啓蒙主義の人間中心主義(ヒューマニズム)から逃れるために、ドゥルーズが呼ぶところの「機械」という概念が指すものの結果であるのです。

機械とは、それらが生み出すある関係性によってのみ、規定されます。コード化する機械は、特定の種類のコードを生産し、領土化する機械は、量子の特定の配分を生産し、抽出する機械は、潜在的な全体性の内から特定の量子群を捕捉して選択を行い、内容と表現の関係の内に、それらを配置します。これらの機械はすべて、反対の動作を行う機械とともに存在します。ですので、たとえば、コード化する機械と脱コード化する機械、領土化する機械と脱領土化する機械、捕捉する機械と離脱させる機械というように。これらすべての機械は、異なる度合いで、異なる時間と場所で、それぞれに作用を果たしていたり、十全に作動できていなかったりします。

いまでは、私はじっさい、この哲学を気にいっています。不幸にも、何冊かの私の著作を読んだことのある方々は、40年近くもの間、私がドゥルーズ哲学に携わり、ドゥルーズ哲学を統合し、私なりの文化研究(カルチュラル・スタディーズ)のヴァージョンをかたちづくるために使用してきたことをご存知でしょう。

ですので、私の議論は、この哲学についてではありません。私が、今日、ここでお話ししたいことは、これらの存在論的哲学──とくにドゥルーズ哲学──が、[今日]どのように人間科学で取り上げられているか、いかにそれがアメリカの学術領域において「存在論的転換」と[現在]呼ばれているものを隆起させることに至ったのかについてです。
ここで、この「存在論的転回」が、行き止まりではないにしても、隘路へと私たちを導いてしまう場について、手短に、私の批判的所見をお話ししようと思います。

まずは、私がいちばん問題だと思っている結果から始めようと思います。それは、この「存在論的転回」と、批判や批判的思考の価値や政治の可能性の否定との、よく見られる結びつきです。ここで私が批判的思考と呼ぶものには、マルクスの思想だけでなく文化研究も含まれています。存在論的転回の内にある人びとによって、批判は、偏執的なエリート主義者や権力との共犯者であると、ますます考えられるようになっています。批判は、新しいものによって取り替えなければならい古い管理人の一部なのです。ですから、オードレ・ロードが提起した問題に対する彼らの回答は、即断による絶対的な「ノー」なのです。「主人の道具」では、その家を壊すことはできない、というわけです。

まず、簡潔な例をひとつ挙げましょう。フランスの社会学者、科学史家から哲学者へと転じたブルーノ・ラトゥールと、彼の評判の悪い小論「なぜ批判は力を失ったのか?」です。彼は批判を「批判的な蛮行」と言い、それは「見せかけのヴェールに隠れて広がる現実からなる、ある真実の世界の発見に基礎を置いている」と述べています。

さらに批判は「ナイーヴな信奉者たちの足元を掬い」、正体を暴くことであり、脱フェティッシュ化であり、脱構築であり、ふつうの人々が彼らの現実、生活や権力に触れる際の日常的な前提に対して、それは非日常だと指摘することであると続けます。

ラトゥールの挙げる例は、しかしながら、たいていにおいてひじょうに極端な例、そして多くは陰謀論をもとにしています。たとえば、彼は、9・11の世界貿易センターへの攻撃やペンタゴンの襲撃は起らなかった、少なくとも合衆国とイスラエルの陰謀の結果であるとする、ジャン・ボードリヤールの主張を引用しています。これは、私には、あまりよい議論とは言えない、と思えます。私たちの多くは、おそらく、このような陰謀論を受け容れていないでしょう。しかし、ラトゥールは、続けてこのように問います。
「たとえば、陰謀論と、ピエール・ブルデューのような著名な社会学者のテキストを斜め読みし、そこから生まれて、教えやすいものとして大衆に広まった社会批判との、実際の違いはなんなのだろうか」と。

私はこう考えます。批判が力を失ったのは、あまりにも数多くの陰謀論者と、ブルデューの読み方を知らない数多くの無能な社会批評家がいるからだ、と。しかし、ブルデュー自身についてはどうなのでしょうか? ブルデューの議論の読み方を知っている、社会批評家についてはどうなのでしょうか? しかし、ラトゥールは、批判的な人間科学の全体の90パーセントが、そのような無能で偏執的な読解によって構成されていると言うことによって、まともな批判を放逐しているのです。

第二の例として、ティモシー・モートンの例を挙げます。彼は、ドゥルーズ哲学に依拠しているわけではなく、「オブジェクト指向の存在論者」と呼ばれていますが、以下のように述べています。

こうした批判的姿勢というものには、事実、「直接的に、環境の緊急事態に対して責任がある。企業や個人、それ自体ではなく、企業と個人双方に内在する態度、そして企業や個人に対する批判の内に、責任があるのだ」と。よって、どうやら、私たちのうち、このような批評を行う人々には、私たちが直面している環境危機に対して責任があるらしいのです。

そして、最後の一例として挙げるのは、最近賞賛されているジャスビル・K・プアの著作『テロリスト・アサンブラージュ』です。この著作の中で、彼女は、学術的な仕事の時間性は、それ自体、近代的権力と共犯関係にある、と主張しています。つづけて彼女は、「とすれば、安定性、持続性、深度といった明白な概念から生まれてきた、学術的な仕事の生産の価値を、私たちはいかにして再評価するのだろうか? 思考や記述という労働を想定した形態や同時間性をこのように再考することは、より広いグローバルな視座に貢献する。その視座は、[世界の]生産における深刻な物質的不均衡を消去しない」と述べています。つまり、彼女曰く、批判的作業を信奉する私たちが、あまりに注意深く、厳密に、ある程度ゆっくりと、その仕事を行うべきだと信じているがために、世界の不平等に挑むことができないのだというわけです。

それでは、こうした存在論について、第二のポイントを提起したいと思います。思考のための疑問だと、考えてもらってもかまいません。それは、一貫性の欠如についてです。これについて長く論じることはできませんが、私は、いま、これを一冊の本にまとめようとしています。もしかしたら、私の最後の著書になるかもしれません。これら新しい存在論、存在論的転換、その多くはドゥルーズにもとづくものですが、カントの二元論的思考、つまり、「現象」と「物自体」、文化と自然などの対立を拒絶するものです。カントの二元論は、じっさい、かなり選択的です。そして、結果として、つねに独自の二元論をつくりだしてきました。

じっさい、存在論的転回は、善と悪、古いものと新しいもの、古い歴史と新しい歴史についての、一種のポストモダンの論理のように見えます。ひとつ、哲学的な例を挙げれば、啓蒙主義と西洋理性中心主義における、超越論と内在論についての区別から始める理論があります。しかし、それは、超越論と内在論の分岐を避けるわけではありません。その代わりに、[そこでは]内在論は、より存在論的に根本的であり、そして、超越論は、つねに内在性に抵抗し超克しなければならない活発的な力となります。もうひとつの選択肢としては、いままで論じられてきた二元論的区分を却下し、内在論と超越論の双方の概念において、示唆、描写、ダイアグラム化された類いの関係性を複数化するよう提唱する選択肢があります。一方では、両者の間に絶対的な選択が存在しますが、もう一方ではこの両極の間に位置する、多義的でさまざまな方法が存在します。さまざまな概念、さまざまな現実、さまざまな実践が互いに連関するような、「横断性」とも呼ぶべき、さまざまな方法が存在しているのです。

[ドゥルーズにおいて]超越論と内在論の二項対立を避ける目的は、「自然主義的哲学」を提案することです。この哲学は、いわばプラグマティストたち、そして/あるいは、スピノザの後を追って、なんであれ、経験されたものは確かに存在する、と主張するものです。ここでは、経験とは、主観的なものでもなく、人間的なものですらないため、括弧に入れて議論されなければなりませんが。しかし、重要なのは、なんであれ、経験されたものは存在する、確かに存在する、それ以上でもそれ以下でもない、ということです。言い換えれば、それは、経験したものが存在するにもかかわらず、その経験された出来事の現実を否定するという還元主義は、回避されなければならないということです。そして、やはり回避されなければならない還元主義のかたちとして、経験されうることのない、ある事物の存在を主張する還元主義もあります。後者の還元主義のかたちは、超越的主体のようなかたちで存在する、私たちが経験することのできない、他の事物の存在を示唆します。けれども、じっさい、私は、存在論的転換がこの反対にあたる──そして最初の──誤りを犯すことを指摘したいと思います。じっさい、[世界に]存在し、経験される物事よりも少ない物事を想定することによって生まれる過ちです。その結果、私たちは、現実の根源的な性質に抗い、それを超克する力の主張としてしか、ある出来事の現実を認めない、一種の還元主義に陥ってしまうのです。なぜ、それが、物事をより非現実的なものにしてしまうのかについては、明らかではありません。

同様に、啓蒙主義的普遍主義への批判としてスタートしたものが、新しいひとつの存在論的普遍主義となってしまっています。言説はつねに表象であるという主張に対する、もっともな批判からスタートしたものが、権力の表現以外の表象の、まさにその可能性を、排除してしまうのです。彼ら自身の仕事が、仮に世界を表象しているのでないとすれば、いったい何をしているのか、と尋ねたくなります。批判を拒絶して始まったものが、抽象的な概念からの社会歴史学的現実への飛躍に頼って、往々にして、現在起こっていることに対する批判的診断を提供するに終わっています。たとえば、このように問いかけたくなるでしょう。ラトゥールの場合、存在するあらゆるものが、アクター・ネットワークとして存在し、それがあたかも人々の意識的な現実経験の認識の下部にあるものかのように存在するという、アクター・ネットワーク理論の発見は、なぜ、ラトゥールが無視する事柄に比べて、より批判的ではない、などと言えるのでしょうか?

しかし、人間科学におけるこの存在論的仕事は、先取や存在の発端、あるいは内在性といった哲学的概念から、社会学的で歴史的な現実だと主張する記述へと、しばしば横滑りしてしまっています。その社会学的で歴史的な現実においては、まさに、その複雑性、関係性と媒介の構造自体、抽象的な概念からの具体的な現実への結びつきが、失われてしまっているのです。人間を超えて行為主体の境界を拡張しようという試みとして開始されたものが、人間の行為主体の固有の形態を捨て去ってしまう事態がしばしば見られます。

そして、このことから、私は、存在論と存在論的転回の出現についての、ある最終的な次元へと、話を移行させたいと思います。ある意味で、私がすでに示唆してきたように、こうした問題のすべては、オードレ・ロードの投げかけた疑問を問いかけています。しかし、私は、ヨーロッパの知識人と思想家たちが、この政治的戦略の問題を、哲学的、さらには存在論的問題に転換してきた事実が、あるひとつの特定の文脈によって形成され、決定づけられてきたということを、示唆したいのです。

この文脈は、フランスの哲学者ミシェル・セールによって、美しい輝きをもって描かれていると私は思います。セールは1930年に生まれ、ドゥルーズ、デリダ、フーコー、ラカン等などの人物たちを含む、ヨーロッパにおける2度の世界大戦の合間の時代に生まれた世代のひとりです。セールはこのように書いています。「私の世代は、その青春時代をじつに苦痛に満ちたものとして生き抜いた。私たちの前の世代は、そうした出来事が始まりを迎えたときに、20歳だった。成人として、活発なやり方でそれらの出来事を生き、関与していった。私たちの世代は、無力な受け身の存在として、出来事をただ追いかけただけだった。子どもや青少年として、いかなる場合も、無力で、行動の可能性を持たない存在だった。暴力、死、血と涙、飢え、爆撃、祖国からの追放が、私の世代に作用し、精神的な外傷を与えたのだ。なぜなら、これらの恐るべき出来事は、私たちが、肉体的にも感情的にも形成される、その時期に起こったのだから。私の青春は、《ゲルニカ》に始まり──テキストに挿入句として、セールは、「私はピカソの有名な絵画を見るに堪えない」と言っています。ちなみに、《ゲルニカ》は、私がいつも愛してきた(オール・タイム・フェイヴァリットの)絵画のひとつです。続けます。──「私の青春は、《ゲルニカ》に始まり、アウシュヴィッツを経由して、長崎に至った。……私の世代は、物理的、身体的に、この残虐きわまりない環境で形成され、それ以来、政治から距離をとってきた。私たちにとっては、権力とは、いまでも、死体と拷問をしか意味しない」。

私は、そこで、存在論的転回は、ソクラテスから複数のヨーロッパ的近代に至るまでそうであると理解されてきたのと同程度に、政治の消滅、あるいは、死の表現である、と提言したいのです。ファシストのドイツの哲学者、カール・シュミットが、第二次世界大戦後に、地球の「ノモス」[*1]の不在と呼んだのと同じ意図の表現です。そして、この状況は、アメリカ合衆国では日に日に顕著に目撃され、最近のイギリスでは、私たちが日常的に「左派」と「右派」、保守主義と進歩主義と呼ぶものを、一世紀もの間、隔てていた境界の溶解として、立ち現れてきています。そして、ますます、世代の脱政治化が進んでいるとも言えるでしょう。私たちに残されたものは、部分的には、新たな存在論的転回から派生したものですが、私が呼ぶところの一連の倫理的形象です。

倫理の重要性を過小評価するつもりはありません。倫理は、政治にとって、絶対的に不可欠なものですが、政治と同意ではありません。人間科学の新しい存在論的仕事に私たちが見出すのは、次のようなイメージの上に築かれた政治です。創造性、多様性、脱領土化、生成、多元的共生主義のもとにある世界といったものたちのイメージであり、実験、オートポイエーシス、あるいは、自己生産のイメージ、愛、制作、混成、能力を高める助けといったもののイメージ、そして、ラディカルな民主主義、予兆、反乱のイメージです。私には、これらはすべて、政治を回避するための方策に見えます。直接的、必然的に政治的であり、まさに純粋な思索として的確に定義された哲学的な政治であり、権力をめぐる具体的な経験世界へなんのリンクも持たず、必要な責任をいっさい持たない、そういった哲学への欲望から生まれたものに見えます。

結論の代わりに、もう一度、啓蒙主義へと立ち戻りましょう。そして、それを単一の固定した統一体として見るのではなく、オープンで、変化しつづける、可能性に満ちた議論の場として見てみたいのです。啓蒙主義の中によく登場する言葉、概念や論理や政治といった言葉が、ある関係性の中から救い出されて、別の関係性の中に見出されうること。そうすれば、[それぞれの]言葉も変化し、その意味も変化し、それらの言葉の間の関係も、変化するかもしれません。ですから、ひとつの啓蒙主義でなく、アクチュアルで、可能であるかもしれない、多くの啓蒙主義が存在し、したがって、多数の、アクチュアルで可能な複数の近代(モダニティーズ)が存在するのです。

そうしたわけで、私は、批判の持つ可能性に立ち戻りたいのです。正しい理論への探求としての批判ではなく、この世界をよりよい場所にする方法を見つけるために、いま何が起こっているのかについて、よりよく理解する、そのための実践と概念が一体となった、変化しつづける複合体としての批判として。
それは、イヴ・セジウィックが「現実的なものの説明責任」と呼んだもののことです。それは、ミシェル・フーコーが、カントのエッセイ「啓蒙とは何か?」を再読して、擁護すべき啓蒙主義として抽出したものです。フーコーはこう語っています。「今日の問題」とは「私たちのアクチュアリティーがなんであるか……現在、存在する現実とは何か、今日起こっていることとは何か」である、と。なぜならば、そうしてはじめて私たちは、「可能な体験のフィールド」について問いかけることができるのであり、現在を変容させうる「活動(アクション)の様式」について知ることができるからなのです。フーコーはこう続けます。このことは、「可能な限り精緻な歴史的問いかけを含意しています。拒絶の身振りではないのです。……私たちは、私たちをいまのありようにたらしめている偶有的な事柄から、私たちがいまそうであるような存在のあり方、行動の仕方や考え方から決別する可能性を、識別する必要があるのです」。これこそ、私にとって、批判(クリティーク)としての文化研究(カルチュラル・スタディーズ)が挑むべきプロジェクトであるのです。

そうでなければ、私たちは、いかにして、現実を、そのあらゆる複雑さ──物質的、有機的、社会的、現象学的、情動的、認知的等など──において理解する必要性の認識を放棄することなく、私たちのもうひとつの生き方の可能性を根づかせ、制限もすれば可能にもする、そうした生き方の可能性について、考えることができるでしょうか? 私たちはいかにして、人々は、彼ら自身の生産した条件においてのみならず、つねに、物質的で有機的な生存を含む、存在の多様なあり方とレベルとのかかわりにおいてこそ、歴史をかたちづくるのだ、というマルクスの考えに対して、新たな意味とバイタリティーを付与することができるでしょうか? 私たちはいかにして、ありうべき別の世界に気づくことができるでしょうか? そこに到達するためには、私たちは、私たちが、いかに、物質的、社会的、技術的、歴史的、地理的、有機的な意味において、いま、私たちが生きている現在の世界に根ざしているのかを、理解する必要があるのです。

ご静聴ありがとうございました。あなた方と、今日、ともに同じ場にいたかったです。以上です。

*1──古代ギリシアの掟や習慣・法律の意味で、社会制度上の道徳的観念のこと。掟、とりわけ人間の行動に作用する法の体系。

翻訳=内海潤也、黒沢聖覇、周浩[東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻修士1年在籍]
監訳=川出絵里[同研究科助教]