In Depth

Interview
文=鈴木葉二

 

「クリティカルゾーン」を立ち上げる

ブリュノ・ラトゥールへのインタヴュー

ZKM、カールスルーエ、ドイツ

2018年5月16日

 

Copyright: Armin Linke

 

はじめに

 

2018年5月14日から5日間、私はドイツのHfG(カールスルーエ造形大学)で開かれたワークショップに参加した。このワークショップは、HfG併設のZKM(カールスルーエ公立芸術メディアセンター)で2020年に開催する展覧会を準備するためのもので、今回は2回目。展覧会のメイン・キュレーターは、科学人類学者として有名なブリュノ・ラトゥールが務める。

 

展覧会の目的は地球の新しい表象を作ること。世界中から学者、キュレーター、アーティスト等が集まり、HfGの院生やZKMのスタッフを加え、約2年半をかけ展覧会を準備していく。30名ほどの参加者のうち、半分以上がドイツ出身者だが、フランス、イタリア、オーストリア、ロシア、トルコ、韓国、アメリカからのメンバーもいる。

 

ワークショップの一日は、朝集まって体操をすることから始まる。かつての弾薬工場を改装して使っているHfGとZKMの建物には広い吹き抜けがあり、採光窓から差し込む陽が心地良い。頭と身体をすっきりさせたら、午前中はラトゥールやゲストの講義などでその日のトピックを頭に入れる。ランチの前に課題が出され、午後はそれに取り組むグループワークの時間だ。課題は「異なる生き物の感覚に敏感になるにはどうしたら良いか?」「新しい地球観を持つ自分たちを、古い地球観を持つ人々に自己紹介するにはどうしたら良いか、外交交渉のつもりで考える」といったもので、かなり頭を絞らされる。夕方に各グループが課題発表、ディスカッションをする。発表形式は、スライド、ポスター、作品、パフォーマンス、寸劇と何でもありだ。日によっては映画を鑑賞したり、ZKMの展覧会を観たりして過ごす。また各参加者はそれぞれ自由なトピックを持っていて、リサーチをプレゼンする機会もある。こうして全員が自分の関心にしたがってゆるやかに展覧会のコンセプトと関わり、互いに影響を及ぼし合うようになっている。5日間、毎日くたくたになるほどのスケジュールだ。

 

ラトゥールによればいま、ガリレオの地動説以来の革新的な地球像の転回が起きつつある。現代の科学者たちは、ガリレオが望遠鏡と月のスケッチから自説を証明したように、新しい観測技術と表現手段を使い、「クリティカルゾーン」と呼ばれる新しい地球像を描き出そうとしている。そんなドラマチックな筋書きの下にラトゥールが企画している展覧会は、自転を鮮やかに証明したフーコーの振り子よろしく、この新しい地球像をデモンストレートする公開実験を目指している。そのためならどんな資料を集めても、どんな仕方の展示を考えても構わない。まるで歴史をひっくり返すほど重大な秘密を明かす前夜、最後の打ち合わせをしているような、かすかな緊張と興奮が参加者たちを包む。

 

いま自分が幸運にも関わっているその過程をぜひ日本語でも紹介したいと、ラトゥールにインタヴューを申し入れた。芸術や科学に関わる人にはきっと刺激的な内容だと思う。インタヴューはワークショップの過密な日程の合間を縫って、水曜日のランチタイムに行われた。

 

地球の表象をアップデートする

 

――日本の読者に向けて、今回準備されている展覧会のコンセプトを教えて下さい。ZKMとは遠く離れていますが、日本でも関心を持っている人は多くいます。できるだけ日本にも、現在進行形で活動を伝え、並行する動きを生み出せればと思っています。

 

新しい展覧会は地球についてのもの、ただし、新しい仕方で地球を理解しようとするものです。ここでいう地球とは、18世紀や19世紀の地理学的理念によって描かれるものとも、地理学的グリッドによって描かれるものとも、地理学的想像力によって描かれるものとも異なります。そういったものは多くの理由でとても有用ではありますが、いまや地球は私たちの働きかけに対して働きかけ返す何か、つまりある種の行為主体性(=エージェンシー)を持つものと理解されようとしています。これは地震に慣れている日本の人々にとってはさほど目新しいことではないかもしれません。しかし、私たちはいま、地球が人間社会に対して働きかける地震だけでなく、人間社会が地球に働きかける別の地震を生き抜こうとしているのです。そのため、地球の表面の表象を作り変える必要が生じています。そこで私は、一部の科学者たちが使っている「クリティカルゾーン」[1]という言葉を取り上げることにしました。この展覧会は、クリティカルゾーンという新しい表象に関するものになります。

 

――そのようなテーマに取り組む動機は何だったのでしょうか?

 

私は、いわゆるエコロジーの問題に、Politics of Nature [2]を書いた25年ほど前から取り組んでいます。この本は1995年に書きました。私たちはその頃、政治理論が環境問題によって変革されることではなく、更新されることを期待していました。私はごく標準的な政治理論の方法であの本を書きました。この新しい問題が、政治哲学の通常のレパートリーのどこを補うかを示そうとしたのです。ですが環境問題を政治に持ち込むことは不可能だと悟りました。環境について語るには、環境危機に直面した人々の宇宙観(コスモロジー)全体の複雑な変化が必要だったからです。そこで私はいくつかの展覧会を行いました。「人新世」が大きな関心を集めるようになった2014年頃にトゥールーズで行ったもの[3]も含みます。私は基本的にまずガイア理論を理解しようとジェームズ・ラヴロック[4]を読み、Facing Gaia [5]を書いたのですが、すぐにアーティストの作品へも関心を伸ばしました。実際、この場合には科学と芸術が同時に必要でした。環境問題と政治理論をひとつにすることは非常に難しく、この主題に形を与えるためには、アーティストと科学者の協力が必要です。結局、環境問題を政治理論に無理やり持ち込もうという最初の発想は間違いだったわけです。この問題はもっと別の感覚能をいくつも要求するものでした。ですからその後私はReset Modernity! [6]を作りました。これはちょうど、いま取り組んでいるクリティカルゾーンに関する展覧会の準備のような役割を果たしました。多くの科学者の友人たちのおかげで、議論は大きく発展してきています。そこには、論理的な結びつきがあります。また、私がこの問題に取り組んでいる別の理由は、非常に急を要する喫緊の問題だからです。緊急性はいや増していますが、それに対する感受性は上がっていません。だから政治哲学のレパートリーを、この緊急性を感じられるようなものに修正する展覧会が必要なのです。

 

――クリティカルゾーン、ガイア、テレストリアル、という三つの言葉の意味と違いを教えてください。

 

ガイアは半科学的で半神話的な言葉です。私はこの言葉が好きですが、ラヴロックの著作への反応からも分かるように、ガイアは定義することが非常に難しい言葉です。だから公開のイベントではこの言葉を使わないようにしています。ガイアが正確なところ何なのかを説明するには何年もかかりますから…。なぜそんなに難しいかと言えば、この概念を唱えたのがジェームズ・ラヴロックとリン・マーギュリス[7]という、ふたりの賛否ある重要な科学者だったからです。この用語を安易に単純化することはできません。クリティカルゾーンはその点、それが何なのかまだ誰もはっきりとは知らないという大きな利点を持っています。これは自然全体を指す言葉ではありません。地球の表面だけを、生命が広がっている部分だけを指す言葉なのです。思うに、この考え方の利点は、ことを一足飛びに宇宙や物理学の問題にしてしまわないということです。地球のごく薄いわずかな表面だけに取り組むことで、注意を科学の全部に向けなくて済み、いくつかの厳選された分野に集中できます。人文学についても同様に、非常に大切な役割に集中できるようになります。例えばもし銀河について学ぶとすると、知識の産出以外に人間の行為はたいして重要でなくなってしまいますが、クリティカルゾーンに取り組む場合、人間の活動はあらゆる領域に関わってきます。それがこの言葉を使う理由です。三つ目のテレストリアル(the terrestrial)という言葉は、まるきり私の発明です。もし日本語に翻訳するなら…

 

――難しいのではないかと思いますが。

 

ドイツ語のHeimat(故郷、郷土)が参考になるでしょう。日本語にも必ずあると思います。文化的特徴を持つある場所に属している、という感じの語です。普通どの言語にも、守るべき土地を指す言葉があります。例えば日本列島という国土のことをです。Heimatの翻訳を探してみてください。ドイツ語では、保守政治との関わりでかなり論議の的となっている言葉です。ともあれ、テレストリアルは他の語との対照から生み出された言葉です。それは自然ではなく、別の何かでもなく…。フランス人の日本研究者であるオギュスタン・ベルク[8]を読めば、日本の文化でこの種の場所を示す言葉[9]がたくさんあるでしょう。ともあれ、テレストリアルは私が考え出した言葉ですので、定義が必要です。テレストリアルは非常に政治科学的な用語で、私たちが近代の終わりに行きつく場所、着陸する場所を示すための言葉です。つまり、グローブとは違う地球を表現するためのコンセプトなのです。グローブ、ローカル、テレストリアルという三角形があります〔ラトゥールが類型化する三種類の地球像のこと〕。

 

The political attractors. Alexandra Arènes, Atelier SOC (www.s-o-c.fr)

 

――中空にあるような、抽象的な地球との対比を出すための言葉とも言えるでしょうか。

 

グローブは実物の地球に基づいた、現実的な捉え方だと考えられていますが、実際は違います。グローブは未だにその大部分が、カートグラフィック(地図製作法的)な抽象化に留まっているからです。私たちがクリティカルゾーンという考えの下に関心を寄せている特質は、そこにはありません。私たちはある意味、地球の上にいるとはどのようなことか、改めて描き出そうとしているのです。地理学が発明されたときに一度そういったことを人間はしたのですが、それをもう一度、一種の謎として読み解く。言い換えると、私たちは地理学を再発見しているところなのです。

 

――それで着地する感覚を強調しているのですね。

 

Down to Earth [10]が日本語の本になることを望んでいます。どのように翻訳されるか、とても興味があります。

 

歴史との距離

 

――これらのコンセプトを歴史的な背景からも説明していただけますか? 歴史的背景は、この展覧会にとってとても重要だと考えています。

 

もう一度、日本を例としてみます。日本で早回しの近代化が起こった19世紀、明治維新というのは、日本の人にとってはまだ十分思い出せるくらい最近です。日本の人々は、「地球」とは何であったか、グローバリゼーションとは何であったかを、二世紀にわたる強いられた鎖国の後に再発見しなければならなかった経験を持っています。ある意味、いま起きていることを理解するのには日本の方が容易でしょう。つまり、地球がわれわれの行為に対して働きかけ返す行為主体性や性質を持っていることを突如理解しなくてはならなくなったがための、きわめて短い時間のうちに行われる「地球」の再-再発見です。地球はシステムです。ただし、私たちが19世紀に近代化を進めていたときに再定義したのとは違う意味で、です。この素早い遷移には、ヨーロッパで17世紀から21世紀まで長くかかった深い歴史的下地があります。しかし、日本では非常に短かった。このことに私はとても関心があります。

 

――では、「グローブ」という考え方を形作ったヨーロッパの視点からも説明をしてくださいますか?

 

こちらは簡単です。ヨーロッパにおいて、グローブという考え方は他の人々の土地を占領することと完全に軌を一にして理解されていきました。つまり、帝国という考え方やグローバリゼーションの進展と密接に結びついているということです。歴史の説明としてはありふれたものですが。ヨーロッパの人々にとっては、グローバリゼーションと地図製作法と、この三世紀間の戦争とは完全にひとつのものとしてあります。それがいわば地政学的な想像力であり、大きなチェッカー盤かチェス盤を描いていたようなものです。そして今、言うまでもなく、チェス盤はその姿を変えようとしています。紛争、机上作戦、境界の新しい定義が現れています。しかしもう一度言いますが、日本では違っています。ほんの1世紀半と少しの間にそれは起こりました。150年で将軍体制から新しい地球へ。だから日本でのほうがヨーロッパよりもきっと理解されやすいと思うのです。

 

――あなたのお話をより明確にするためには、歴史と現在の関係をもっと感じやすくする必要があると思います。その意味で、展覧会はどのような機能を果たし得るでしょうか?

 

展覧会に多くのことはできません。例えば、論証という点で本に取って代わることはできません。しかし展覧会の大きな利点は、空間的な形式で理解を与えられることにあり、空間的な認識のシフトに至るために優れています。よくできた展覧会であれば、Reset Modernity! のように、空間内での肉体的な経験、あるいは筋肉の記憶と言って良いようなものを生み出します。それは身体的なものでありながら、うまくできていれば頭のなかにも入っていくわけです。ZKMで行なった3つの展覧会では、この部屋を概念的な空間に作り変え、肉体的に経験できる概念的空間へと変えることに成功したと思います。そのような展覧会では観客が歴史的状況の複雑さを実感として捉えやすくなります。そしてこの点こそ、環境危機をめぐる議論に欠けているものなのです。もしあなたが危機に瀕している自然について語り続けても、誰も構いはしないでしょう。それはあまりにも遠くて、あまりにも複雑ですから。これを引き起こしているのがまさに古い気候体制、私が地図製作法的な想像力と呼んでいる、あの不活性なものなのです。こういった意味で、展覧会は本以上に強力な役割を持つと思います。展覧会のスピリットの方が、本のスピリットよりも観客を包み込みやすいものですから。

 

――歴史というものについてどのように考えていますか? 歴史的文脈の中で考える、という姿勢は、あまり顧みられていないようにも思います。

 

そうですね。しかし他方で、目下の問題においては反対のことが起きています。地球の様子に関するニュースはとても短い間隔で飛び込んできます。あまりに多くのことが起き、切迫感は非常に高まっています。そこで展覧会もまた反対のことをすべきだと私は考えています。つまり落ち着いて、その危機から少し距離を取ってみようということです。口やかましい、強迫的な、危機感を煽るような展覧会をすべきではありません。歴史的な距離をもっと取ったほうがいいのです。毎日のニュースは恐ろしいものばかりですから。昨日は、新聞で北極の氷の消滅について記事を読みました。今ほど氷が小さくなったことはないそうです。でも、そのようなニュースを読んで、いったい何ができるでしょう? 恐ろしいことです。だから少々、距離を取る必要があるのです。

 

by Michelle Mantel

 

誰も答えを知らない問題にグループワークで取り組む

 

――もう少し、実務的なことをうかがいます。展覧会制作の組織編成を教えてくださいますか。私が参加しているワーキンググループは、いくつかある集まりのうちのひとつと聞きました。他に、科学者のグループもあると伺ったように思いますが。

 

パリで一緒に仕事をしている科学者たちのことですね。それから、SPEAP[11]の優れた学生たちのグループもあります。維持できるか、まだ確かではありませんが。大体もう、20人くらいになっています。それですべてです。

 

――つまり、私たちの他に二つのグループがあるということでしょうか?

 

いえ、マルタン[12]をはじめとする、キュレーターたちのグループもあります。具体的には、私とマルタン、ベティーナ[13]、ヴァイベル[14]、それに科学面のアドバイザーたちです。それと、展覧会に関心ある科学者たちのグループがあります。リーダーがパリにいて、あとは世界中です。中国にも。もしクリティカルゾーンの科学者が見つかれば、日本も加えられますね。

 

――ワーキンググループでは、参加者がとても活発に意見を交わしていることに感銘を受けました。ただ、あのような議論は、適切な環境が注意深く整えられない限りできないと思います。そういった教育的なメソッドについてお話しいただけませんか? 参加者に対する教育的な効果についてどうお考えでしょうか?

 

いえ、特にメソッドはありません。トピックとやり方だけ提案して、あとは私の無知をみんなと共有しているだけです!私も答えは知らないのです。いつもそうしてきました。ときどき失敗しますが、大体はうまくいきます(笑)。こう言っているようなものです。「さて、あの山に登るべきだと思うのだが、どうすれば行けるかは分からない。ただ何月か何年かにはあそこに着いていたい。君も来るかい?」それでみんながイエスと言えば、登る(笑)。方法は知らなくても、重要なのはゴールです。2015年、パリ協定の年にフレデリック・エトゥアティ[15]とMake It Work[16]をやったときは、人間以外のもの(海や空気など)の代表者が集まるCOP会議を5月にやろうと言いました。それから資金を確保しました。あとのことは、全部学生たちがやったのです。パリで何年かControversy Mapping[17]を行ったときも、私は方法も何もわからないまま、ただそれをやろうと言ったのです。でも学生たちはやってしまいました(笑)。そういうわけで、私の仕事は、みんなを元気づけて背中を押して、学生がベストではなかったとしても、ともかくネガティブなことは言わないようにする、ということになります。

 

――それは素晴らしいですね。

 

それだけです。大したメソッドはありません。

 

Make It Work

 

アーティストとの交流から学ぶ

 

――美術館での展覧会制作は、あなたの考えにも影響を与えましたか?

 

ええ、それはもう。私はそこからアイデアを養っているのです、特にこのトピックに関しては。昔はアーティストを知らなかったので、こんなことはありませんでした。ちょうど20年前にピーター・ヴァイベルと出会い、またハンス・ウルリッヒ・オブリスト[18]と21年前に出会ってから、私はアーティストから学ぶということを学びました。それまでは古典美術、特に絵画には深く親しんでいましたが、現代美術には関心がありませんでした。展覧会をすることがなかったら、私がアートをいわば使うといったことはなかったでしょう。いま私はアーティストから学ぶということがとても得意です。それが養分となるのです。ラヴロックやブレヒト[19]、ガイアに関して私たちがしていることのすべては、アーティストや彼らと作った作品から非常に強く啓発されています。演劇もやりましたし、そこからも多くのことを学びました。だから答えはイエスです。これはなにもアートを応用するとか、コンセプトの視覚化に使うということではなく、自分の関心についてどう考えるべきかアーティストから学べるような状況や展覧会、戯曲を生み出すということです。Facing Gaia のアイデアも、ダンサーから始まっています。

 

――もう少し具体的に説明してくださいますか?

 

良い例があります。ガリレオが望遠鏡で初めて月を観測しましたね。しかし、もし彼が優れた素描家でなかったら、彼は自分で何を見たか気づくことはなかったでしょう。描くことに慣れていたからこそ、彼は月の山が作る影を認識することができたのです。これが古典的な例です。さて私がガイアを考える場合には、Facing Gaia と不可分な例のダンス[20]がなければ、それを理解できなかったでしょう。あのダンスは今でも神秘的な謎として頭の中に残っています。まるで神話のようです。これは私がこの本で展開できたどんな形式よりも深いものです。その意味で、この本にあるコンセプトは展開されたアート作品、あるいはヴェールを剥がされたアート作品とも言えます。クリティカルゾーンについて言うと、この概念自体は私の発明ではありません。とはいえ、科学者たちが本来使っている意味は私が使っているよりも狭いものです。私がアレクサンドラたちと書いた論文で物質化やイメージといった方向へこの概念を拡張した理由は、それが科学者たちにとって強い関心の的だからです。彼らは、私がアレクサンドラ[21]と作ったこの図にすぐ魅了されます。これらの図は言ってみれば科学的なものではありますが、しかしアートがなければ科学は、示したいものをうまく表象することができないのです。科学というものは表象や視覚化に関わるものであり、つまりは神話ですから、わたしたちは常に交流を持っています。

 

The “energetic maelstrom”

地図上の太陽の位置と、動態的な水文地質学・地球化学的観点からみた太陽の役割を可視化した不等角投影図。物質や元素は宇宙-地殻間の循環によって活性化されている。

Arènes, Alexandra, Bruno Latour, and Jérôme Gaillardet. “Giving Depth to the Surface: An Exercise in the Gaia-Graphy of Critical Zones.” The Anthropocene Review (2018).

 

 

これまでに制作した展覧会

 

――展覧会を作るために、これまでどのようなアプローチを試しましたか。失敗や成功について教えてください。

 

私にとって始まりは、Laboratorium [22]という展覧会での、オブリストとのちょっとした冒険でした。その展覧会で私たちは、過去に公衆向けに行われた有名な科学実験を再演してみせました。これは成功半分、失敗半分といったところで、しかしシンプルでした。Iconoclash [23]は、展覧会については大きな成功であり、カタログはさらに大きな成功でした。Making Things Public [24]は、アートの形としては正直まるで失敗だったと言えます。アート作品として価値のあるものはなにも作りませんでしたから。この展覧会はむしろデザインに近いものでした。しかし展覧会としては機能しましたし、それこそが展示の重要な意味です。私たちは、政治的目的のものであれ、別の形式に拡張されたものであれ、何であれ表象の実践すべてを比較するための基盤を打ち建てようとしたのです。それがアートの展示として機能したとは思いません。その意味では失敗でしょう。Reset Modernity! はマルタンのおかげで素晴らしいものになりました。非常に重要な作品があって美しく、同時に、とても知的に充実していましたから、私にとっては成功です。トゥールーズの展覧会は、私は作品の選定には直接関わりませんでしたが、面白いレクチャーのシリーズを企画しました。ただ、テーマがあまりにも人新世に近すぎて少しナイーヴだったと思います。これが私の経験してきたことです。私はキュレーターではありませんし、ほんの少しの経験しかありません。みんなと一緒にやることは好きです。もちろん、どのような基準で失敗や成功を測るか決めなくてはなりません。私にとっては、毎回違ったやり方をしてきたことで大局観ができてきました。展覧会で問題なのは観客に来てもらうことです。3つの展覧会はある種の神話的な地位を獲得してはいますが、多くの人が見に来たわけではないのです。ただ、マーギット[25]が教えてくれましたが、ZKMのアーカイヴで一番問い合わせの多い展覧会はIconoclash だということです。評判の点では成功と言えるでしょう。

 

»Reset Modernity!«, 2016, Photo © ZKM | Center for Art and Media, Photo: Jonas Zillius

 

――では舞台裏についても教えていただけますか? いま行っているようなワークショップを他の展覧会でも毎回してきたのでしょうか。

 

いつもやっています。Laboratorium のときには、オブリストがすでに複数キュレーター制にしていましたから。Iconoclash では7人のキュレーターがおり、私がメインでしたが色々と仕事を分配して、パリやベルン、様々な場所で2,3年仕事をしました。Making Things Public では、2年間パリで私に手を貸してくれていたヴァレリー・ピエ[26]と一緒に取り組みました。実際この展覧会では自分ですべての決定を下したという意味で、真に私の展覧会でした。多くの友人が助けてくれましたが。Reset Modernity! はふたたび協働作業でした。小さなチームで約2年間、週3回は会うという非常に濃密なプロセスでした。でもやはり小さなグループで、必要以上に大きくはならないようにしていました。

 

――では今回はもっと大きい。

 

そうです、特に多くの科学者を巻き込もうとしているので。フィールドワークも同時にやっていきたいのです。クリティカルゾーン観測所[27]のメンバーとして、いくつもフィールドワークを行い、色々な場所に行っています。街から街へ、移動し続けています。10月、11月にはもっと行きたいと思っています。

 

――もう少し観測所についてお聞きしたいのですが、そこであなたは何をされているのですか?

 

観察しています(笑)。非常に古典的なサイエンス・スタディーズをやっています。私が若い科学社会学者だった頃のように。

 

――つまり、クリティカルゾーンを観測している科学者たちを観察しているということですか。

 

そうです。今では、ウェブで何でも公開されるので、サイエンス・スタディーズ自体はさほど有効ではなくなりました。実際には、ほぼ毎日、ダニエル・フェッツナー[28]とマーティン・ドルンベルク[29]がしていること、彼らがアーティストのスタジオを訪れたりするのを、観察しています。写真を撮り、彼らを訪ね、彼らと一緒に活動します。

 

中国とイランでの試行

 

――Reset Modernity! を中国とイランで実施したときのお話を聞かせてください。あなたにとってどういったものでしたか?

 

非常に難しかったと思います。マルタンは上海で3日か4日のミーティングを組んで面白いことをしていました。イランではものすごく困難でした。イラン自体すごく複雑で、政治的状況は輪をかけて複雑でしたから!発想としては、Reset Modernity! を準備するためにヨーロッパでしていた作業を、他の国でも再検証してみようということでした。つまり、Reset Modernity! 自体のアイデアは良いと思うのですが、私の理解するモダニティの問題は『虚構の「近代」』[30]の人類学と結びついており、またそれはあまり広く認知されていません。この本の知識がなければ、私たちはいつまでも「西洋/東洋」、「近代/非近代」という陳腐な二分法に陥り続けてしまいます。この言葉の綾から抜け出すことはとても難しいのです。私が知る限り、日本でも容易ではないでしょう。中国とイランの人々は「西洋/東洋」という考え方に強く固執していますが、この考え方は人類学的に言えば当然ながら何も意味をなしません。ヨーロッパでも日本でも、中国でもイランでも、わたしたちが近代人であったことなどまったくないのですから!日本がひとつだけ異なるのは、日本は植民地化に完全には飲み込まれず、したがってポストコロニアルな態度にも飲み込まれていないということです。このワークショップでの提案は、「この東洋/西洋というナンセンスはすっかり脇に置いて、わたしたち全員にかかわる新しい気候体制の方に取り組みましょう」というものでした。ですがこのコンセプトを人々が理解するまでには長くかかるでしょう。それを理解するには『虚構の「近代」』を読み、科学社会学を読まなくてはなりませんが、あまりに込み入っているのです。

 

――日本人がこれらのプロジェクトに関わっていないというのは奇妙な感じがします。中国やイランの人々よりもそれを理解しやすいのだとすれば…。

 

私たちはReset Modernity! を日本ではやっていませんから。日本でできたら本当に面白いと思いますが、まだ試していません。長谷川祐子さんがいわば仲介者になってくれるかもしれませんが。

 

アートと科学の交差:同じ問題に取り組む友人について

 

――現在とくに注目している方々について教えていただけますか? たとえばリチャード・パワーズ[31]の新作The Overstory [32]を高く評価されていましたが。

 

リチャード・パワーズは小説におけるもう一人の自分です。私にしてみれば彼は、私がしているのとまったく同じことを小説で、しかもずっとうまくやっています(笑)。そしてこれが、アートと科学の繋がりとは何かという問いへの、もう一つの答え方です。私は彼と20年の交流があります。ただ彼は優れた小説家で、私はそうではありません。彼は、人間以外のものをいかにして歴史のプロットに持ち込むかということに取り組んでいます。The Overstory は、きっと日本語に翻訳されるでしょう。文学ということでは、パワーズがいわば私の友人です。私よりまだ若くて、60歳くらいですが。

 

――他の小説家や科学者、学者についても教えていただけますか? ダナ・ハラウェイ[33]の名前は日本でも有名です。ですが例えば、イザベル・スタンジェール[34]は日本語ではわずかしか翻訳されていません。どういった方があなたの友人にいるのか、ぜひ知りたいのですが。

 

ダナは確かにそうですね。イザベルは40年ほど前から知っています。ずっと一緒に仕事をしてきました。少し抽象的な書き方をするので、翻訳するのは簡単ではないでしょう。彼女は非常に重要な哲学者です。それからもっと若い思想家で、イザベルの生徒のディディエ・ドゥベーズ[35]や、ベルギー人で動物の哲学者であるヴィンシアン・デスプレ[36]。彼女も素晴らしい。それから私の恩師であるサイモン・シャッファー[37]。何が日本語に訳されているか、分かりませんが。多くの友人がいます。もちろんアーティストも。トマス・サラセノ[38]はとても好きですね。

 

使命の選択

 

――インタヴューの終わりに、今後のプランについてできる範囲で教えてください。

 

2020年の展覧会の後はまだ分かりません。それだけでも大変ですから。AIME(An Inquiry into Modes of Existence[39])のプロジェクトに戻れたらと思っています。

 

――まだすることがあるのでしょうか?

 

無限にあります。AIMEですべきことはたくさんあります。エンドレスです。しかし今はガイアに捉えられてしまったので、それをする時間がありません。でも私が本当の哲学者だとしたら、AIMEのみに注力していたでしょう。これは長い目で見たときに重要なものとなるはずだからです。AIMEのほうがより重要だろうと思いますが、しかしガイアとは別の時間軸上にあるのです。今は、この新しい気候体制の重さを感じるべき時にきているのです。それはあまりに重いものです。私にできることはしましたが、あなたには何ができるでしょうか? この展覧会が終わるころには私は72歳か73歳になりますが、AIMEに戻って真剣に取り組もうと思います。それがいわば、私の人生の最後になるでしょうから。AIMEは私がした哲学の仕事のなかで一番面白いものだと言っておきましょう。何が起きるかじっと見据えていきましょう。いまの政治的状況は本当にひどいものですから、ただ椅子に座っているというわけにはいきません。つまり立って、行動を起こす必要があります。

 

――素晴らしいお話を、本当にありがとうございました。

 

どういたしまして。

 

 

[1] Critical Zone. 水やガスが循環する樹木の先端から地下水の底までの、地球表面の薄い膜状の範囲を指す。生態系の重要な相互作用はこの範囲にすべて含まれていると見なすことができる。地球科学に関わる諸学問分野が協働して取り組むべき研究領域として、堆積学者であるゲイル・アシュリー(Gail Ashley, 1941-)によって1990年代後半に提唱されたとされている。既にアメリカ国立科学財団等の支援により世界に数十箇所の観測拠点が設けられている(クリティカルゾーン観測所=Critical Zone Observatory)。ラトゥールはクリティカルゾーンを「グローバル」な地球像に代わる新たな地球像として提案している。

[2] Latour, Bruno. Politics of Nature: How to Bring the Sciences into Democracy. (Originally published as: Politiques de la nature: comment faire entrer les sciences en démocratie, Paris, 1999) Translated by Cathy Porter. Cambridge: Harvard University Press, 2004.

[3] The Anthropocene Monument. *Exhibition=3.10.2014-04.01.2015 held at les Abattoirs, Toulouse.

[4] James Lovelock (1919-) ガイア理論を提唱したイギリスの科学者。

[5] Latour, Bruno. Facing Gaia: Eight Lectures on the New Climatic Regime. (Originally published as: Face à Gaiä: huit conférences sur le nouveau régime climatique, Paris, 2015) Translated by Cathy Porter. Cambridge: Polity Press, 2017.

[6] Latour, Bruno, and Christoph Leclercq, eds. Reset modernity!. Karlsruhe: ZKM Center for Art and Media, 2016. *Exhibition=16.04.2016-21.08.2016 held at ZKM.

[7] Lynn Margulis (1938-2011) アメリカの生物学者で、細胞内共生説(symbiogenesis)の提唱者として有名。ラヴロックのガイア理論を独自の観点から支持していた。

[8] Augustin Berque (1942-) フランスの地理学者、思想家。邦訳書に『風土としての地球』(三宅京子訳、筑摩書房、1994年)など多数。

[9] 「風土=milieu/médiance」のことか。日本語に精通するベルクは和辻哲郎の風土論を展開させ、この語に独特な哲学的意味付けを行っている。ラトゥールの「テレストリアル」は直訳するとしたら「地上的なもの、地球的なもの」といったところだが、ラトゥールの言うニュアンスとベルクが「風土」という語に込めた意味をここで即座に比較検討して訳語を確定することは難しい。

[10] Latour, Bruno. Down to Earth: Politics in the New Climatic Regime. (Originally published as: Où Atterrir?: Comment S’orienter En Politique. Paris: La Découverte, 2017) Translated by Cathy Porter. Cambridge: Polity Press, 2018.

[11] Programme d’expérimentation en arts et politique. ラトゥールがヴァレリー・ピエとともにパリ政治学院で2010年に立ち上げた、ミッドキャリア向けの修士課程プログラム。科学と芸術、政治学の統合を目指す。

[12] Martin Guinard-Terrin (1989-) フランスのアーティスト/キュレーター。ラトゥールとともにReset Modernity!のキュレーションを行ったほか、後述のAIMEにも参画している。

[13] Bettina Korintenberg ZKMのキュレーター。

[14] Peter Weibel (1944-) オーストリア出身のアーティスト、批評家。1999年からZKMのディレクターを務める。

[15] Frédérique Aït-Touati (1977-) フランス出身の文学・科学史研究者。CNRS(フランス国立科学研究センター)副教授。

[16] COP21を模倣し、複数の代表者が合意に向けて交渉する状況を実際に上演するプロジェクト。2015年の5月に開催された。参加者たちフランスやインドといった国だけではなく、若者やNGOといった集団、さらに海や森、土壌、インターネットなど人間以外のものの代表をも演じることで、各国政府の利害調整を超えた政治モデルの構築を試みた。

[17] パリ政治学院でラトゥールが始めたプロジェクト。データヴィジュアライゼーションを応用して政治的議論の布置を可視化する試み。現在までに複数の大学で教えられる学問的方法論のひとつとなっている。アーカイヴを参照。http://controverses.sciences-po.fr/archiveindex/

[18] Hans Ulrich Obrist (1968-) スイスのキュレーター。ラトゥールはオブリストが1999年にキュレーションした展覧会Laboratoriumでレクチャーパフォーマンス「証明の劇場 The Teatre of Proof」を行った。

[19] Bertolt Brecht (1898-1956) ドイツの劇作家。1月のワークショップで、参加者はブレヒトが制作した「ガリレイの生涯」(1939)の映画版(1975、監督:ジョゼフ・ロージー)を鑑賞した。

[20] The Angel of Geostory by Stéphanie Ganachaud (2013).

[21] Alexandra Arènes 建築家。リサーチプロジェクト「ガイアグラフィ」で、クリティカルゾーンの視覚化に取り組む。

[22] Obrist, Hans Ulrich, and Barbara Vanderlinden, eds. Laboratorium. Köln: DuMont, 2001. *Exhibition=27.06.1999-03.10.1999 held at the Provinciaal Fotografie Museum.

[23] Latour, Bruno, and Peter Weibel, eds. Iconoclash. Karlsruhe: ZKM Center for Art and Media, 2002. *Exhibition=04.05.2002-01.09.2002 held at ZKM.

[24] Latour, Bruno, and Peter Weibel, eds. Making Things Public: Atmospheres of Democracy. Karlsruhe: ZKM Center for Art and Media; Cambridge: The MIT Press, 2005. *Exhibition=20.03.2005-03.10.2005 held at ZKM.

[25] Margit Rosen ZKMのキュレーター、コレクション・アーカイブ・調査部門長。

[26] Valérie Pihet SPEAPの共同設立者。

[27] Critical Zone Observatory. 脚注1を参照。

[28] Daniel Fetzner (1966-) ドイツのメディアサイエンティスト、オッフェンブルク応用科学大学教授。ラトゥールのワーキンググループ参加者。現在、ドルンベルクとともにリサーチプロジェクトDE/GLOBALIZEを主宰。http://moe.lab.mi.hs-offenburg.de/deglobal/#SCIENCING

[29] Martin Dornberg (1959-) ドイツの心身医学者、哲学者。ラトゥールのワーキンググループ参加者。

[30] ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」——科学人類学は警告する』(Bruno Latour. Nous n’avons jamais été modernes: Essai d’anthropologie symétrique. Paris, 1991, 1997.)川村久美子訳、東京:新評論、2008年。

[31] Richard Powers (1957-) アメリカの小説家。

[32] Powers, Richard.The Overstory, W. W. Norton & Company, 2018.

[33] Donna Haraway (1944-) アメリカのフェミニスト理論家、科学思想家。

[34] Isabelle Stengers (1949-) ベルギーの哲学者、科学思想家。

[35] Didier Debaise フランスの思想家。

[36] Vinciane Despret (1959-) ベルギーの科学思想家。

[37] Simon Schaffer (1955-) イギリスの科学史家。邦訳書としては、同じく科学史家であるスティーブン・シェイピンとの共著『リヴァイアサンと空気ポンプ:ホッブズ、ボイル、実験的生活』(吉本秀之監訳、柴田和宏/坂本邦暢訳、名古屋大学出版会、2016年)がある。

[38] Tomás Saraceno (1973-) アルゼンチンのアーティスト。

[39] An Inquiry into Modes of Existence. この世界を構成する様々な「存在の様式」をカタログ化し、それらの交渉可能な関係性として描き出そうとするリサーチプロジェクト。2011年から欧州研究会議より助成を得て、書籍の出版や参加型のウェブプラットフォームの構築を行ってきた。ラトゥールが『虚構の近代』で描いた問題、つまり「私たちは近代人ではなかった、では近代という虚構は何だったのか?」という問いに自ら応えるものとして位置づけられている。Latour, Bruno. An Inquiry into Modes of Existence: An Anthropology of the Moderns. (Originally published as: Enquête sur les Modes d’Existence. Une Anthropologie des Modernes, Paris, 2012) Translated by Cathy Porter. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 2013.  http://modesofexistence.org/

 

 

文=鈴木葉二(国際芸術創造研究科 修士課程 2018年3月修了)

肖像画:雨宮庸介