キュレーション教育プログラム検討委員会報告書がまとまりました。

2023年3月2日

キュレーション教育プログラム検討委員会報告書

【発足の経緯】
2019年末から2020年初頭までの間にアーツ前橋(群馬県前橋市)が県内の作家2人の遺族から借用した作品6点(木版画4点、書2点)が紛失するという事案が起こり、新聞やウェブメディア等で報道された。

紛失当時のアーツ前橋館長は、本学大学院国際芸術創造研究科(以下研究科と略記)アートプロデュース専攻キュレーション領域で、キュレーション教育に関わっていた住友文彦准教授(肩書きは当時。2021年4月より教授)が兼職していた。本学はこの案件に対して直接の当事者ではなく、この問題に対処する立場にない。しかし本学の教員が担当するキュレーション教育分野に関わる事案でもあることから、本研究科として、この事案をどのように把握し、対処すべきかを検討することとした。

2021年10月11日国際芸術創造研究科長名義で「アーツ前橋の事案に対する当研究科の対応方針」を発表し(資料1)、それに合わせて「キュレーション教育プログラム検討委員会」を発足した。

資料1:大学院国際芸術創造研究科長熊倉純子「アーツ前橋の事案に対する当研究科の対応方針」2021年10月11日付http://ga.geidai.ac.jp/2021/10/11/10267/

【キュレーション教育プログラム検討委員会構成員】
キュレーション教育プログラム検討委員会構成員のメンバーは以下のとおり。

国際芸術創造研究科(GA)
熊倉純子(国際芸術創造研究科教授、研究科長/座長)
毛利嘉孝(国際芸術創造研究科教授)
枝川明敬(国際芸術創造研究科教授 〜2022年3月*)
清水知子(国際芸術創造研究科准教授 2022年4月〜)
今村有策(美術研究科教授)
岡本美津子(映像研究科教授)
亀川 徹(音楽研究科教授)
李 美那(美術研究科准教授)
熊澤 弘(大学美術館准教授)
*2021年度末に枝川教授が定年退職をしたため清水准教授に交代。

【キュレーション教育プログラム検討委員会実施概要】
キュレーション教育プログラム検討委員会は、上記の構成員を中心に2022年2月から11月まで計5回開催された。特に、美術館運営の専門家、学芸員、キュレーション、前橋の文化芸術政策関係者をゲストに招き、レクチャーや聞き取りを行うとともに意見交換を行った。

 月  日議題/ゲスト
第1回2月18日(金)「アーツ前橋の作品紛失」をどのように理解すべきか 長谷川祐子(GA教授)、 学内美術学部教員
第2回4月22日(金)「キュレーション教育研究センター」構想について
第3回6月27日(月)前橋市の文化芸術行政と「作品紛失事案」 友岡邦之(高崎経済大学 教授)
第4回8月5日(金)日本の美術館をめぐる構造的諸問題 高橋明也(東京都美術館館長)、 拝戸雅彦(愛知県美術館館長)
第5回9月20日(火)アーツ前橋の事案に関する報告書について
キュレーション教育研究センター規則案について
第6回11月17日(木)まとめ


【キュレーション教育プログラム検討委員会の議論のまとめ】

(1)アーツ前橋の借用作品紛失事案について

アーツ前橋作品紛失調査委員会による「調査報告書」2021年3月付(資料2)を中心に、「調査報告書」に対する住友文彦教授による「意見書」2021年6月30日付(資料3)、この事案を報じる新聞記事、『美術手帖』による取材記事、白坂由里「アーツ前橋の作品紛失問題はなぜここまでこじれたのか。美術館の運営状況から見えてきた労務問題も」2021年6月10日付(資料4)、議論の過程の中で入手した700頁を超える情報公開請求による公開資料などを中心に事実関係の確認を行った。
結論から先に言えば、アーツ前橋の借用作品紛失事案は、あくまでも前橋市、アーツ前橋、アーツ前橋の館長としての住友教授の間に関わる事案であり、本学は直接の利害関係者ではない。すでに、前橋市は2021年3月17 日に「調査報告書」(資料2)に基づき、住友教授を含む5人の関係者に対して「訓告」処分を行なっている。これに対して、住友教授の反論やアーツ前橋の労務問題をはじめさまざまな議論があることは確認したが、その事実関係の認定は、本学としては現段階では3月17日付の前橋市の「調査報告書」を基盤として作品紛失についてなされた「訓告」処分を重く受け止めることにとどめ、前橋市、アーツ前橋、そして住友教授の間でなされるべき事案であると判断した。

資料2:アーツ前橋作品紛失調査委員会「調査報告書」2021年3月付
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf

資料3:住友文彦教授「意見書」2021年6月30日付
https://sites.google.com/view/opinionletter

資料4:白坂由里「アーツ前橋の作品紛失問題はなぜここまでこじれたのか。美術館の運営状況から見えてきた労務問題も」2021年6月10日付https://bijutsutecho.com/magazine/insight/24159

(2)作品紛失に関わる構造的な問題

今回の事案の調査と議論を通じて見えてきたことは、アーツ前橋の作品紛失は、この事案を取り巻くアーツ前橋の固有の状況とともに、アーツ前橋を含む日本の美術館・博物館をめぐるより広範な構造的な問題が存在するということである。とりわけ、収蔵作品や借用作品の保存や管理、指定管理者制度の導入による運営面における行政組織と公立美術館・博物館との関係、各種事業・運営予算の逼迫、人事の組織や雇用制度、館長をはじめとする学芸員等の専門職員の社会的な位置付け、時代の要請に即した美術館・博物館に求められる社会的な役割の拡大など、山積する問題は、アーツ前橋に限らず日本の美術館・博物館が共通して直面する構造的問題である。

繰り返しになるが、アーツ前橋における作品紛失は決してあってはならない出来事であり、作品の一刻も早い発見を強く期待するとともに、その直接的な原因の特定については、アーツ前橋と前橋市が主体となって取り組む案件に思われる。また住友教授も当時の館長という直接の責任者として、引き続き原因究明に協力すべきだろう。

その一方で、本学の役割としては、学芸員やキュレーターの専門的知識の向上など本学の教育研究において改善できる領域においては積極的に取り組むとともに、作品紛失の遠因となった日本の美術館・博物館の構造的な問題を研究活動において明らかにしつつ、必要に応じてたえず解決策を提言していくことが求められているだろう。

【今後の対応について】

(1)大学院国際芸術創造研究科における、美術作品や関連資料の管理、収集、整理、保管等に関する教育カリキュラムの拡張と充実

すでに2022年度よりキュレーション教育プログラム検討委員会と並行して、美術作品や関連資料の収集、整理、保存管理、これらにかかわる法律の基礎知識、コンプライアンス、キュレーターの職業倫理、適切な情報公開の重要性を認識した上で、大学院国際芸術創造研究科では新規科目として「キュレーション教育プログラム」を設置している。

科目名:キュレーション教育プログラム(後期科目:担当長谷川祐子)

日 程講義タイトル講師
2022年 11月26日(土)作品のコンサベーションについて田口かおり(コンサベーション)
12月19日(月)展示設置について佐野誠(スーパーファクトリー)
2023年 1月21日(土)ICOM における美術館の定義と美術関係者の倫理について建畠晢(全国美術会議会長)
1月28日(土)観客とのコミュニケーションと取り込み稲庭彩和子(東京都美術館)
2月4日(土) コレクション作品の保全、管理について相澤邦彦(金沢21世紀美術館)
2月18日(土)芸術家・研究者・教育者に必要な法律や学術倫理の基礎知識志田陽子(武蔵野美術大学教授)


(2)キュレーション教育研究センターにおける人材育成と政策提言

本学では、より総合的なキュレーションのあり方を学び、研究するプラットフォームとして、2022年8月1日に「キュレーション教育研究センター」を全学的な組織として設置した。今後は上述の大学院国際芸術創造研究科のカリキュラムの拡張と充実に加え、新たなセンターの活動においても今回の事案の教訓を活かしていくべきであると思われる。

センターでは、現在東京藝術大学で行われている博物館学(学芸員)課程と連動しながら、美術作品や関連資料の収集や整理、保存管理、それにかかわる法律の基礎知識、コンプライアンス、キュレーターの職業倫理と専門性、情報公開、文化芸術政策、行政と美術館・博物館との関係、人事、雇用などの問題を検討・政策提言する機会を設けるとともに、次世代を担う人材の育成を目指す。

東京藝術大学は、国際芸術創造研究科のみならず、全学においてキュレーションやアート・プロデュースに携わる教員が集まるキュレーション教育研究センターにおいても、これからのキュレーション教育研究のあるべき姿を構築すべく議論を重ね、すべての東京藝大生に教育と実践活動を通じた学びの場を提供していく。本報告書において言及したように、日本の社会における公的文化機関をめぐる構造的な課題は根深く山積している。そうした状況を打開していく人材を輩出すべく、地道な努力を続けていく所存である。

資料5:東京藝術大学キュレーション教育研究センター規則
https://www.geidai.ac.jp/kisoku_koukai/pdf/p20221020_639.pdf